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感想『生きてるだけで、愛。』映像美が際立つ文学的映画。優しさってなんだろう

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

 

近所のミニシアターで公開していた『生きてるだけで、愛。』

東京では11月に公開していたみたいだけど地方なのでこのタイミングで劇場で見ることとなった。

 

主演は趣里菅田将暉

飲み会で知り合った寧子(趣里)は躁鬱病を患っていた。津奈木(菅田将暉)は不思議な魅力に取り憑かれてともに生活をする。寧子の前に津奈木の元彼女の安堂(仲里依紗)が現れて・・・。

 


『生きてるだけで、愛。』予告 11月9日(金)公開

 

 

菅田将暉演じる津奈木はいまいち表情が変わらない。

何を考えているのか分からない。寧子との共依存関係とも見て取れる

表情ひとつ変えずに淡々と組織の中での役割をこなす。次第に抱えきれなくなり突然爆発する。ある意味今時の人なのかなと思った。だからこそ寧子と一緒に居られる・・って論調にしたいのに「だからこそ」につながるエピソードが思いつかない・・。

寧子に対しては自然体で気負わなくて済む、ってのなら分かるんだけど別にそういうわけじゃなさそうなんだよね。だけど寧子の存在がなければもっと早くに爆発してたような気もする。なんだろ。うまく表現できないや。

 

 

そして仲里依紗が怖い・・・。怪演?

ホリデイラブ』(2018)では浮気をされる妻を演じつつ恐妻っぷりがハマっていた。

今回は元カレとよりを戻すために今の彼女に接近してくる。

高圧的な傲慢で嫌味な女性。おそらく寧子みたいな躁鬱病のヒモが彼女だったから強気に出て直接接触したんだろう。きっと似たタイプの女性が相手ならもっと裏で色々な小細工をしていたに違いない。

皮肉なことに安堂が一生懸命になればなるほど寧子が社会復帰することを促すことになる。

寧子にとっては試練ではあるけど多少甘えが許されない状況に追い込まれないと一歩を踏み出せないタイプの人間もいる。そういう人には強制力というのは有効な手だ。(躁鬱病の人に対しては甘えだとかいう表現は適切でないのかもしれない)

 

 

 

躁鬱病とはいえ、寧子の考えていることが理解できないことが多かった。

「やらなきゃ」「変わらなきゃ」という気持ちがあるけど、身体がついてこない。

その焦燥感はとても伝わってきた。

そのイライラは経験していないと理解できないものだと思う。

 

ただ考え方でハッとしたことがある。

それは、理不尽で支離滅裂な要求を津奈木が「はいはい」と受け流し、相手が納得するような対応をする場面だ。

寧子はその対応を「楽している」と言い放った。寧子が言うには、全力で話をしているのだから、全力で返してほしい。つまり、受け流すのではなく受け止めてほしいのだ。

 

僕はつい、何事も最適解で対応したいと思ってしまう。

でも適切な答えを求めているわけでなく、同じ熱量で対応してほしいと思う相手もいるんだなと気付かされた。

メールなんかではよく聞く内容だ。

一生懸命考えた長文メールに対して1行での返信では物足りない。

結局、それって直接話をするときも同じなのかもしれない。

必死に考えて伝えたならば、受け取った側も考え抜いた応対がほしいものなのだ。

ほしいものは最適解ではなく、努力の跡なんじゃないだろうか。

 

 

人との付き合い方ってのは難しい。

相手を傷つけないようにオブラートに包むことも優しさ。

きちんと向き合ってぶつかることも優しさ。

一貫した正しい選択なんてものはない。

常にもがいて苦しんで、それでも生きなきゃならない。

 

寧子を雇ってくれたバイト先も心の底からの優しさだったと思う。

変な子、めんどくさい子、心の中ではそう思いつつ、受け入れる。

それが優しさだと思っているから。

でも寧子にとってそういう上辺の表現はとても敏感になってしまう。そしてそういった包み込む優しさを拒絶してしまう。

 

 

決してエンターテイメント作品ではない。

観終わったあとの何とも言えない感情。自分の中でどう消化すればいいのか、味わったことのないモヤモヤ感。

映像は非常にきれいで引き込まれる。なのに人物の気持ちがわからない。引き込まれているのに何もわからない。だけど確かに心に何かを残してくれる。

不思議な映画。

 

 

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)