ゆうがたヒーロー

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感想『世界の仕組みを物理学で知る』携帯電話はなぜ通じるのか?世界は観測した瞬間に固定する。

文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る

 

『文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る』(山と渓谷社 松原隆彦 2019)

 

ガッチガチなハード文系な僕。どちらかといえば哲学や社会学のほうが楽しく読み進めることができる。でも会社員になり理系知識・・・特に物理学の知識が必要な場面にチラホラと出くわした。まぁ、もとからそういう会社なのも知ってたし、あえて興味の範囲外の職種(そもそも哲学や社会学が直結する職種が少ない)に携わった。

しかし・・物理学さっぱりわからない 笑

仕事に関わる本を読んでもまるで頭に入らないの「なんでだよ〜」と地団駄を踏みたくなるくらいさっぱりわからない

と、いうわけで内容的には仕事に直結しないタイプの物理学をちょっくらカジッてみた。

 

 

結論から言えば文系でもわかるように噛み砕いて説明が書かれていて、易しい部類の本だった。

予備知識もほとんど必要なく、必要そうな情報は本文中に説明してくれている。

ただ、残念なことに性格的にあまり記憶に残らなかった・・・。根本的な学問に対する相性の違いだろうか。頭の片隅にちゃんと引っかかてくれてばいいなって程度だった

 

 

本書は7章構成で、章別に光や時間、量子論までかいつまんで説明してくれる。

個人的に「へぇ〜」と印象的だったものを僕もアウトプットしてみようと思う。

 

04. 世の中は電波で溢れているーメールはどうして届くのか

世代的に僕は物心ついた頃にはパソコン自体は存在している世界だった。その当時はまだ高価だったのかわからないけれども、友達の家に行きその親のパソコンで遊ぶ、なんてこともやっていたし、学校でもパソコンを触る授業もあった。(どんな授業だったかもはや記憶にない笑

なのでパソコンの存在は当然のものであり、文字データがネット回線で相手のアドレスをめがけて届くのは普通のことだ。

からしたら小さい頃はFAXのほうが仕組みがわからず、書いた紙が相手に転送されるものだと思いこんでいた。

そんな当たり前のメールを改めて「メールはどうして届くのか」なんて聞かれても困ってしまう。

 

結論を言えば、ユーザー毎に周波数が設定されており、電波が壁を通り抜けて到達する、のだという。

流星のロックマン」のように電波が可視化されたらとんでもないことになるかもしれない。ネット回線ってのは電波なのだ。(表現あってるかな?)

送受信のアイコンは電波塔だったりする。考えてみればそれほど驚くことじゃないんだろうけど、壁をすり抜けて届く電波ってすごいなぁ、と感心してしまった。

そのうちちゃんと調べてみるけど、そもそもネット回線って、とか有線無線とかそのあたりの仕組みや概念も勉強したくなった。

平易な情報から多少専門的な中身まで理解できるといいな。これからの5G時代、「なんでだろう」という気持ちを強く持たないと考えることを放棄してしまう。

 

おもしろかったのは「波には「回折」といって、障害物にぶつかったときに回り込む性質があり、波長が長ければ長いほど回り込みやすい」ということ。

どうやら携帯電話の電波の波長は長いので普通はだいたい回り込んで受信できるという。電波は金属を通り抜けることができないため金属に覆われてしまうと回り込む余地もなく「電波の届かないところにいます」となる。

電波の研究は盛んだけれども目に見えないし、様々な波長があると言われてもピンとこない。でもこうした研究者がいるからいまの社会が成立しているんだと思える。

たぶん、世の中の便利ツールの大半は電波ありきでしょう。

 

 

46.アインシュタインシュレーディンガー量子論を受け入れられなかった

もうひとつ興味深かったのは「量子論」だ。

「量子の世界では、見ていないときには波のようにふるまい、観測した瞬間に粒として見つかる。」

本当に意味がわからない文章 笑

いまもう一度読んでみたけど、さすがにぶっ飛んでるとしか思えない。

量子がどうふるまうのかはあくまで確率論でしかない、物理学においてそんな結論がありえるのかという内容のようだけれども、おそらくもっと深い議論があるんだろう。

おそらくこれが物理学で受け入れられないのは非常に哲学解釈だからだ。

 

たとえば目の前にりんごが置かれる。そのりんごの上から箱をかぶせりんごを隠す。

その後に箱を外して目にするりんごは最初に見たりんごと同一かどうかは証明できない。

あくまでりんごを知覚しているだけで、そこに本当にりんごがあるかどうかはわからない。(ただ、りんごを知覚している私は存在している)

そんなフランスの哲学がある。

 

なんとなく僕はこの話を思い出した。

量子を知覚した瞬間に自分が行くべき世界が決まる。無数のIFに溢れかえっている世界。

物理学的には「観測した瞬間にしか確定しない」というのは気持ち悪くて仕方ないだろうけど、どことなくロマンがあっていいじゃないか。そう思うのは興味の嗜好性・方向性が違うからだろうか。

 

 

たまにはこういう本を読んで違う視点を取り入れていきたい。

結局自分の解釈できるレベルや領域に引きずり込んでしまうのが玉にキズかな。