戦隊あるある入れ替わり
戦隊シリーズあるあるの入れ替わりネタ。
リュウソウジャーにあったかな。ルパパトでは透真とギャングラーが入れ替わったネタが印象深い。
どうして入れ替わりネタが定番なのだろうか。
まず入れ替わりというのは現代科学では実証されておらずファンタジー世界での定番だ。
怪人と入れ替えてもいいし、戦隊メンバーと入れ替えてもいい。魔進のような特殊キャラクターとの交換でもいいし、招き猫みたいな無機物と入れ替えてもおもしろい。
とにかく使い勝手がいいのが入れ替わりネタだ。
その使い勝手の良さに加えて焦点のあたっている特定人物を掘り下げたり、全体でワチャワチャしたコミュニュケーションのツールとしてもいい。
入れ替わりというのは、基本的にはひとりでは成立し得ない。たとえ無機物と入れ替わった場合その異常事態に気づく誰かが必要である。怪人でも仲間でも入れ替わるには自分以外の相手の存在が必須だ。つまり、入れ替わりネタをすることで登場人物の関係性がより一層深まっていく。
入れ替わりによる自己分析
ところで自分らしさってなんだろうか。充瑠は1話でキラメイジャーに加入した際に「僕は輝いていない」といった自信のない様子だった。充瑠からみた自分というのは取り柄のない存在であることがわかる。キラメイジャーの活動をしている現在でもその姿勢は変わっておらず、仲間たちは自分の魅力を認知しているのに充瑠は相変わらず自己肯定感が低い。
対して、相棒の魔進ファイアを含めた仲間たちは充瑠の良さを知っている。
ファイアはキラトークでの「かわいい」推しのイメージが強いけど、それ以上にその真っ直ぐさと熱いハートを高く評価している。そんな魔進や為朝から見える充瑠は、充瑠が思っている以上に輝いているに違いない。つまり、「自分が知っている自分」と「他人が知っている自分」が一致しているとは限らないということだ。
ジョハリの窓という心理学による自己分析の手法がある。自己を見つめ直すための4つの側面だ。
・自分も他人も知っている側面
・自分は知っているが他人は知らない側面
・自分は知らないが他人は知っている側面
・自分も他人も知らない側面
入れ替わることによって自分の姿を客観的に見ることになる。
仲間が自分の姿で好き勝手やるのだ。仲間からみた「充瑠っぽい行動」は自分は知らないが他人は知っている側面ともいえる。充瑠の代わりを務めるファイアから見ると、充瑠らしい代名詞はやはり「ひらめキーング」である。あえてこの言葉を取り入れていることから、ファイアはあくまでも充瑠になりきろうとしていることが予想できる。つまりファイアの中では「芸術はビリビリだ」ってセリフも代理を務めている充瑠っぽいものだと認知しているのだろう。
実際は「芸術はビリビリだ」なんて充瑠は言わないことを充瑠は知っている。その認識のちがいから、他人ってのは思っている以上に自分を理解していないのがよくわかる。
充瑠の真面目な性格ではちゃんとできてない子供を叱ることが多かった。ファイアが中に入ったことで充瑠らしくなく「褒める」ことをしてくれた。褒める効能をしらかったけれども、自分も知らない側面をファイアを通じて新しい知見を得た充瑠は自由な発想に磨きがかかりより一層キラキラと輝けるようになった。
入れ替わりをすることで自分を見つめ直すきっかけとなる。
それは物語の登場人物たちの成長でもあり、我々視聴者たちが性格解釈する理解につながる。
キラメイジャーの世界をより楽しくなる。
まとめ的な感想
ウダウダ言ったけど、純粋に今回の話のクオリティが高い。
相棒との絆を深める、新たな気づきを得る、ギャグ、全体のバランス感がたまらない。
特にマッハが映るシーンはツッコミどころしかなかった笑
「褒める」仲間がいることの大切さを完璧に落とし込めてる。ギスギスしがちの現代、やっぱり褒められることによる効用って大きいんだなって改めて思った。この話、本当に名作だよ。
オラオラする充瑠いいなぁ、と思ってたけど、見返すと変態紳士マッハ入りの瀬奈も変顔時雨も無邪気小夜も表情とたち振る舞いがうまいなと思った。
理央くんたち役者さんたち、全体的に演技力の高さが伺える。
ちなみにルパパトの入れ替わりのおもしろいところは、透真の身体をエンジョイしているギャングラーだ。目撃したつかさはあまり違和感を感じずに受け入れたところ。
透真にとってはあんなチャチャラした姿はありえないと思っているのに、つかさにとっては「知らない側面」としてすんなり受け入れているのがおもしろい。