ゆうがたヒーロー

日曜の朝でなくても誰だってヒーローに憧れてる

『魔進戦隊キラメイジャー』限界は越えないためにある。ヒーローの自己犠牲の美学への戦い方改革?令和におけるヒーローの新しい生活様式

スーパー戦隊シリーズ 魔進戦隊キラメイジャー Blu-ray COLLECTION 1

 

お待ちかねのパワーアップ回。

前回、為朝の一目惚れギャグ回に見せかけたヨドンナ登場シリアス回という落差を見せた。ヨドンナの効果によって雑魚兵ベチャットが強化され、キラメイジャーは苦戦を強いられる。

 

しかし、この強化ベチャットは副作用によって自ら消失してしまう。

キラメイジャーたちは兵隊を使い捨てるヨドンナに対して怒りを顕にするも、無力にもなす術がなかった。そしてこの敗北により自信を喪失し輝きをも失ってしまった。

為朝がカナエマストーン・エネルギアによってパワーアップすることを提案するも充瑠が反対する。無理やり強化されたベチャットの末路を自分たちに重ね合わせ、パワーアップの問題点を指摘する。しかし打つ手のない仲間たちはカナエマストーンに手を出したい。充瑠は地球の平和も仲間の命も守りたいと、気持ちを伝え飛び出していく。

 

パワーアップと自己犠牲

強化ベチャットとその副作用。その末路を目にした上でキラメイジャーのパワーアップに反対するっていう構成には脱帽してしまった。限界まで達してしまったときのリスクを誰よりも心配するのが、ある意味で一番一般人の充瑠っていうのがいいね。

充瑠は特訓回でかつて己の限界以上に各種トレーニングをして倒れてしまった経験がある。あのときも仲間たちは「鍛える」「パワーアップする」ことに重点を置いており、それに伴う段階やデメリットへの考慮が足りなかった。

おそらく本質的に前線で活躍するトッププレイヤー達は、常に鍛錬をして自分の壁をぶち破ってきた。時雨なんかはわかりやすく、戦隊活動をしていながらひとりで剣の鍛錬をしている描写も多いし、みんなといるときも台本を読んでいることもある。常に自分を追い込み詰め込み孤独に成長していくのが時雨の強みである。

そんな責任感のある彼らは「地球の平和」を守るために「自分」を犠牲にすることを厭わない。これは昭和・平成から受け継がれるヒーローの美学ではないだろうか。

自分がグリードになってでも人を守るオーズ、身体の限界超え強化フォームのゲイツリバイブ、元の子供に戻れないリスクある変身トッキュウ1号。。。きちんと数えればきりがないくらいに多くのヒーローは平和を守るために身を滅ぼしてきた。

そしてその「覚悟」がかっこいいと、僕らは無意識に思い込んできた。例えば僕はオーズ42話が印象に残っている。足を氷で固められた人たちがオーズの助けを求める。オーズはこれ以上変身するとグリードになってしまうが、人々はそんなことを全く知らず無責任に助けを求める。それでも変身して人々を守り、戦うオーズ。その覚悟を感じ取れたからこそめちゃくちゃかっこいいと思った。

 

昔から当たり前にある副作用つきの強化変身。己をボロボロにしてでも限界を超えて戦う覚悟。ヒーローならば受け入れて当然?そんな慣例を真っ向から否定するのが新鮮だったし、今までヒーローの自己犠牲を盲信していた自分には目からウロコの発想で驚いた。

 

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限界は越えないためにある

ラボを飛び出した充瑠は神社を訪れ神主さんの話を聞く。神主はかつて神社を訪れたオラディン王と弓勝負をしていた。オラディン王は力をかけすぎると弓が耐えられないことに気づき、限界を超えずに最大限のちからを発揮することに気づいたという。

充瑠はオラディン王の「限界は超えないためにある」にインスパイアされて、時限付き強化フォームを考案。パワーアップした「ゴーキラメイジャー」によってヨドンナを撤退へ追い込み、作戦を阻止することに成功した。

 

 

充瑠の出した結論が「限界は超えない」というのがいい。

前作リュウソウジャーですら「限界は超えるもの」であった。

しかし、令和になったこのご時世でも「限界を超えるもの」という考え方1本でいいのだろうか。本当は限界を超えているのに、それでも届かない目標と「限界は超えられる」という世間の圧力に押しつぶされる。この思想しか世の中に認められていないが故に、限界を超えて倒れてしまう人は多い。

もし仮に「限界は超えちゃいけない」という考え方もあれば救われた命だってあるだろう。

 

とはいえ「限界は超えない」1本の価値観だとガチガチに縛られてしまい不都合な側面も出てくるかもしれない。「限界を超え」たほうが成長していくこともひとつの事実であるし、短期的には「限界を超える」ことも必要な場面もあるだろう。

どちらかだけの社会なのがマズイのであって「限界を超える」こと自体を否定しちゃいけない、と僕は思う。

「限界は超えない」を主張した充瑠だって、限定的に最大限の能力を発揮している。時限付きでパワーアップしているってことは100秒間は強制的に限界まで全力を注いでいる。きちんとやるべきことをやっている上でのマネジメントとしての100秒間。

「限界を超えろ」「限界は超えない」これはそれぞれが都合よく使いがちなだけに、実は扱いがとても難しい概念なのではないだろうか。

 

それに話が進んだクリスマス商戦やラスボス戦、この100秒がどうなるか見ものだ。

身体が適応して3分くらいまで引き伸びるかもしれないし、どうしても戦わないといけない場面まさかの自己犠牲の精神で100秒の限界突破をするかもしれない。(この場合はきちんと自分の限界を認知した上でのどうしても必要な場面に限る。)

最後まで100秒ルールを守っても美味しいし、どう転んでもおもしろく調理できそうだ。

 

かなり密度が濃いエピソードだからどうしても語りから外れてしまうけど、為朝の失恋の傷をえぐる充瑠のオチは話の締めによかった。為朝のEDがキャラソンの限界超えてかっこよすぎてビビった。為朝役の木原くんがプロだから、ヒーローキャラソンのわかりやすさを全力で取っ払って楽曲制作のガチさに変な笑いが出た。

あと、うまく文章に組み込めなかったけど、特訓回でヨドン軍も「24時間戦えるエナジードリンク」使って副作用で苦労していたね。ヨドンナ登場でほぼ確信になったけど、保険完備の敵組織だからホワイトかと思いきや、戦隊屈指のブラック組織なのかもしれない。

キラメイジャー、確かに王道なんだけどいろいろな場面で実験的な要素が散りばめられているのが本当におもしろい。

 

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