大泉洋は騙されることが似合う
しかし立場が逆転するとき、僕たちはその男の末恐ろしさを実感する。
本書は原作者が大泉洋をイメージしながら大泉洋を研究観察して完成したという。
そのため、当然主演は大泉洋。
騙されることが似合うこの男、嘘くさい笑顔に日本中が騙される。
映画は原作を分解して再構築してあるらしい。原作を知らない者としては、正直嬉しい限りだ。僕の場合、映画から原作に入ると、どうしても映像をなぞった印象が拭えず、文字ならではの表現や感性を味わいにくくなってしまう。原作を楽しむ機会がまだ残されているのはありがたい。とはいえ、再構築は一種の賭けだ。やりようや内容によっては原作ファンを怒らせることだってある。つまり、忠実に再現することよりも遥かにハードルがあがってしまうのだ。
知っている原作が映画化する場合、あの場面はどう表現するのだろう、とワクワクしながら映像を楽しむことができる。漫画の実写化の場合は、すでに画がイメージできているのでそれに忠実であれば満足できるが、世界観をうまく構築できていないと感じてしまうと、とたんに映画そのものが陳腐に見えてしまう。
アニメ化or実写化や映画化はその原作を知らない人への営業販促活動なのだが、どうしても原作ファンのほうが期待をしてしまう。この需要と供給のアンマッチはなかなか難しい。
意味不明な前置きが長くなってしまったが、この映画の感想は「まぁまぁおもしろい」「そこそこ楽しめた」となる。
大泉洋演じる速水が、見ている観客さえも「あっ」と騙すような仕掛けがあるのかと期待しすぎた面は否めない。
どちらかといえば、お仕事系映画としての楽しむことが出来た。
苦境に立たされる出版業界。「伝統」ある文芸作品が赤字を垂れ流す。その一方で個性を集めた面白い雑誌で社をもり立てていくサクセスストーリーは見ていて痛快だった。
広告費と売上を天秤にかけ、モラルギリギリを攻める商業主義は格式や伝統に重きを置く文芸部にプレッシャーを与えていく。それぞれが相手を出し抜くような奇策で生き残りをかけて戦っていく。
お仕事系として特にイイなと思ったのは、現代社会に対するセリフの数々。
伝統を守ろうと思う者は「伝統は一度壊したら戻らない」という。
改革が必要だと思う者は「現代的にアップデートが必要だ」という。
どちらも一理あるし一方に寄ることは出来ない。
ただ決定的だったのは、「準備に5年もかけた肝いりのアイディア」に対する「おそすぎた」という感想。申し訳ないけどこれだけは真理だと思う。
インターネットの発達で、世界はどんどん処理速度を増している。昔であれば失敗しないように充分な用意をして挑むことが出来た企画は、今や用意をしているうちに時代は終わる。「走りながら考える」ことが求められ、その場その場での問題をレスポンス良く処理していかないといけない世の中になっていると思う。
たしかに、土地を扱ったり建物を立てたりするのには時間がかかる。だからといって着手まで5年もかけているようなスピード感ではあまりにも現代の感覚から乖離してしまっている。
「守ることよりも攻めるほうが楽しい」
失敗をしてはいけない空気感であると、絶対に出てこない言葉だ。積極的にチャレンジして大損する前に見切りをつける。スピードを意識しながらどんどん挑戦的な仕事をしていきたい。