宇宙最大のお宝の正体が明らかになった49話からのつづきになる。
そのお宝は世界をつくりかえる力であった。
ただし、世界を作り変えるのには条件がある。その力をつかうことで戦隊の歴史が消えてしまうというのだ。
その事実を知り、力を使う踏ん切りがつかないゴーカイジャー達。そんな折に襲いかかるザンギャック艦隊により、海賊たちは散り散りになってしまう。
この50話のエピソードを改めて見返すとスーパー戦隊の存在についてひとつの答えを提示してくれていて、実に秀逸な話だなと思った。
マンモスレンジャーやマジレッドのクラスメイトの山崎さんやゴセイジャーの博士が出演するなど、レジェンド回としての盛り上げながらゴーカイジャー達のヒーロー性を改めて問い直してくれている。
2話で出てきた少年やゴーゴーファイブ回の親子が再登場するのも演出として巧い。
ヒーローの自己犠牲
唯一の地球人である鎧はレジェンド・ジュウレンジャーのゴウシに出会う。
「本来はレジェンド大戦で捨てる覚悟の命」「地球のために犠牲になる」
鎧はそんなゴウシの語りに胸を打たれる。
ゴウシの言葉、共感する鎧は典型的な自己犠牲を厭わないヒーロー像だ。
鎧は以前、ダイレンジャーの亮に出会い「変身できない状況でもできることがある」 ということを学んでいる。実際に変身ができないゴウシも瓦礫の中から人々を救っている。こうした経験から、たとえ変身ができなくなろうが、そもそもの存在・歴史がなくなろうが、平和のための犠牲になる存在を認め、大いなる力を使う決意をする。
最近であればキラメイジャーのパワーアップ回にも通じるところがある。責任感のあるヒーローほど、身を削ってでも大義のための犠牲になることを厭わない。そして僕らもそうした犠牲を自然と納得して当たり前におもっている。それが「僕らのイメージする」ヒーロの正しいあり方なのかもしれない。
ヒーローが与える影響
一方で宇宙人組は街の人々に出会う。
まずルカとアイムはゴーゴーファイブ回での親子に再開する。ザンギャックが向かってくるにも関わらず母と妹を守ろうとする少女。彼女は「怖い。でも守りたいものがあるから勇気を出して戦った」と話す。これはゴーピンクにあったときの教訓だという。
ジョーとハカセは天知博士と山崎さんが人々を支えている様子を目撃する。ジョー達は知る由もないが、彼らもスーパー戦隊に支えられ影響を受けた人たちだ。それぞれ「諦めない気持ち」「勇気という名の魔法が奇跡を起こす」と語り、互いに勇気づけて励まし合っていた。
マーベラスは2話で出会った少年を目撃する。フラフラになりながらも、ゴーミンを追い払えるくらいには戦えるようになっていた。少年曰く「スーパー戦隊になれなくても戦える」という。なんの因果か、これはマーベラスに影響を受けている。
奇しくもマーベラスらゴーカイジャーはすっかり地球のスーパー戦隊のひとりとして、人々に影響を与える存在になっていたのだ。
宇宙人組はみんな一致して、大いなる力を使わないことに決めた。
僕らにとってのスーパー戦隊
ゴーカイジャーでは、スーパー戦隊をただ地球を守ってきたヒーローとして扱わない。
地球を守るだけでなく、人々の希望の象徴・シンボルとしての役目を担っている。
だから、スーパー戦隊の歴史をなかったことにするというのは、人々の希望を奪うことと同義になってしまい、本当の意味で地球を守ったことにはならない。いくらスーパー戦隊の当事者が自己犠牲の精神を持っていても、本当に犠牲にしてはいけないのだ。
10年以上前からこんなドストレートに「ヒーローのあり方」をテーマにしていたのは気づかなかった。当時はゴーカイチェンジやレジェンド達がでるというだけでキャッキャしていて気づかなかった。
この日、ゴーカイジャーはスーパー戦隊に必要な精神をすべて体得して、晴れて35番目のヒーローとなった。鎧も「欲しいものは自分で掴み取る」海賊精神を学び、大いなる力を打ち砕いた。これで海賊見習いではなく、立派な宇宙海賊へ成り上がった。
この50話は「戦隊」とは何なのか、を掘り下げてひとつの解を提示している。
地球を守ること以上に希望として心の支えになれる存在であることが重要なのだ。
レジェンドをゲスト出演させてスーパー戦隊35作品記念として盛り上がる要素をきちんと抑えつつ、スーパー戦隊に影響を受けた人たちのメッセージを入れ込み、ゴーカイジャーの成長物語に区切りをつけ、鎧を海賊として仕立て上げる。
ストーリーとしても演出としてもなかなか離れ業をやってのけてる50話。最高でした。