ゆうがたヒーロー

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「推し」という概念についての理解と考察。おカネの切れ目が恋のはじまりから

火曜ドラマ おカネの切れ目が恋のはじまり シナリオブック

 

2020年9月期ドラマ。三浦春馬さんが出演している『おカネの切れ目が恋のはじまり』、とても面白くてきちんと予定通りの展開で最終回まで見たかったドラマ。

三浦さんが亡くなる前日まで撮影しており、三浦さんの訃報を受けて脚本を変更して4話で完結してしまった。最後のシーンは布団の中で眠れずに困惑する猿渡だった。

シナリオブックによると、よく眠れぬまま朝に食卓で顔を合わせてまた物語が進行していくようだ。ドラマは朝早く出ていってそのまま劇中に顔を出さずに終幕したのが切ない。(一応戻ってきたかのような終わり方をしていたけれども。)

 

 

さて、ここで少し気になったのが松岡茉優さん演じる九鬼が早乙女という先輩に15年片思いをしているという設定だ。三浦さん演じる猿渡がそれを知り、気を利かせてテニスコンペをセッティングしたり、「九鬼さんのこと、どう思ってるの」と聞いてみたりする。そして九鬼は撃沈する。

 

秘めたる恋心というような設定だけれども、九鬼自身の早乙女に対する態度はまるで「推し」に対するものだった。しかし、いろいろな差し入れを渡している様子を見た猿渡はそれを「貢いでる」と表現した。

 

なるほど、明言はされていないけれども猿渡は「推し」という概念を理解していないのではないだろうか。そういった概念がない人から見れば、「推し」に投資する行為は貢ぐと同義なのかもしれない。しかし言われてみればそもそも「推し」とはなんなのか。

「推し」はオタク系の界隈では当たり前に使われてる概念ではある。けれども、猿渡のように「ほしいものは手に入れる」という感覚の人物には、手に入れない「推し」への愛は極めて奇怪に映っているに違いない。

今回、想定として猿渡のような人物に「推し」という概念を紹介するものとして改めて「推し」とはなんなのかについて考えてみた。

 

 

推薦から推しを取り出してみる 

「推し」を身近な熟語から考えてみる。「推薦」という単語であれば猿渡を含めた多くの人にも馴染みがあるのではないか。

というわけで、まずは推薦の意味を調べた。

 

推薦 スイーセン【よいと思う人や物をひとにすすめること】

 

ふむ。良いと思う人物をほかのひとにすすめるというのは極めて一般的だ。

猿渡も社長である父親に「俺の意見だから通してよ」ということを言ったこともあるんじゃないだろうか。

…実力で入社したり、コツコツ企画を出していたりするから、もしかしたらコネとか推薦とかは嫌いなのかもしれないけども。

 

 

推薦という単語をさらに漢字辞典でそれぞれの文字レベルに分解してみる。

 

『推』

1 前の方に押し出す。前に動かしすすめる。「推移・推進・推力」

2 人をたっとび、押し上げる。「推載・推服」

3 用いるように人を後押しする。「推挙・推奨・推薦」

4 考えをおし進める。おしはかる。「推測・推定・推理・推論」

 

『薦』

1 人を取り上げ用いるように進言する。「自薦・推薦・他薦・特薦」

2 こも。敷物。「薦席」

さて、こうして分解してみると【推薦】はどちらも「用いてもらうよう後押し」「用いるよう進言」という意味を持っていそうだ。

 

そのうえで改めて「推し」単体に目を向けてみよう。僕らはどういう場面で「推し」をつかのうか

 

・推しが主演のドラマが決まった

・推しがかわいすぎて辛い

・推しが死にそう。来週の展開考えるとすでに鬱

 

他にも様々な場面での「推し」の用法があるが、おおよそこんなものだろう。

こうしてみると、「推し」という概念そのものには「後押し」や「進言」という意味が抜け落ちているように思える。なぜならば、「推し」はあくまでも自分の気持ちの主張であって、それを他人に「推す」ものではないと僕は考えているからだ。他の人にもその良さを理解してもらいたい気持ちはゼロではないが、感情の強弱でいえば他者へ対する宣伝よりも、自己完結する内側に対する感情に近い。(他者に気持ちを押し付けない現代文化が自己消化に向かわせた可能性もある)

 

自己完結する感情だと思えばむしろ「推」の漢字辞典の2番目の「人をたっとび」という意味合いが強そうだ。あくまでも自分が主体として勝手に推しを尊んでいるのだから。

「推し」が楽しそうにしている、「推し」が傷ついている、「推し」のあらゆる感情も許容・共感が「尊い」の一言に集約できる。下手すれば「推し」=「尊い」という方程式が成立する可能性すらある。

 

 

好きと尊い

しかし猿渡は九鬼の「推し」を「好き」と解釈をした。

『好き』

1 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「好きな人」⇔嫌い。

2 片寄ってそのことを好むさま。物好き。また、特に、好色。色好み。「君も好きだねえ」

3 自分の思うままに振る舞うこと。また、そのさま。「好きなだけ遊ぶ」

  

調べながら書いてみると、猿渡のいう好きは1の「心がひかれる、気に入る」に当たるし、これは「推し」という概念とも対立しなさそうだ。実際「推し」に心を惹かれて「推し」を気に入っている。つまりは意味合いを考えてみても「推し」であり「好き」でもありえる。

だがしかし、この「推し」という概念を「好き」という単語で片付けられないのはなぜか。「推し」にあって「好き」にない意味がある。それは「尊び」だ。

 

 

『尊ぶ』

1 尊いものとしてあがめる。たっとぶ。「神仏をー・ぶ」

2 価値のあるものとして重んじる。尊重する。たっとぶ。「人命をー・ぶ」

 

 

前述のように、「推し」は人をたっとびという意味を含んでいる。崇めているのだ。そうなってくると「好き」という単語では生ぬるい。「好き」という単語では相手へのリスペクトが不足してしまう。リスペクトを内包する「推し」は、「好き」を超えたあがめるような気持ち=「崇拝」にあたるのではないか。

 

推し=崇拝>好き

推しを語るときには「尊い」という単語をセットで使うことも多い。

つまり「推し」とは「好き」の上位にあたる概念であり、好きということでは言い足りない程の感情だ。さらにいえば「推し」はあくまでも自分の内面で完結するのに対して、「好き」には他の人への干渉が内包されている気がする。

辞書的な意味には含まれていないため個人の感覚的な解釈になるが、「好き」という言葉が対人に向けられるとき、そこには愛情の返報性が求められる。好きな人に好かれたい、という気持ちが高まるし、自分だけを好きでいてほしいと願ってしまう。

「好き」は相手を束縛する可能性があるが「推し」は相手を自由にする。

ただリスペクトして応援したい。見返りは求めない。そんな「推し」のほうが間口はひろいのではないだろうか。

「推し」は、より多くの人物にとって幸せな気持ちをシェアできる現代的な単語なのかもしれない。

 

 

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