『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』浅原ナオト 2018 KADOKAWA
すっかり記事公開タイミングを逃してしまった…。なんか今更感あるけど、、、
小説原作。残念ながら原作未読ではあるが2019年のドラマで同作を知る。
ちょうど『おっさんずラブ』の劇場版が発表された時期だったかな。『おっさんずラブ』では数少ないストレート男性役だった金子大地が主演で発表されていて、「おっさんず」キャストはなにかとLGBTに縁があるのかなとか思った記憶がある。観てみると「腐女子、うっかりゲイに告る」とかいう軽いノリのLGBTコメディのようなタイトルの癖に、なかなかに濃い性描写と重厚感ある内容と演出にグイグイと引き込まれていった。
中でも金子くんの演技は本当に素晴らしかった。端正な顔立ちとミステリアスな雰囲気は神秘性を感じるし、かといってコミュニケーションを取らないわけでもなく周りとの関係構築もそつなくこなす。周囲に溶け込み、擬態し、息が詰まりそうな社会を必死にこらえている。世間一般の「普通」でありたい少年を完璧に演じきっていた金子くん。「安藤純」というガラスのように美しい少年は、完全に金子大地でインプットされていた。
実写映画が発表されたのはいつだっただろうか。「あれ、このタイトルって」比較的最近みたドラマが続編ではなく別物として映画化が発表されたのが不思議に思った記憶がある。
劇場版の主演は神尾楓珠。「そうきたか‥。なるほどなぁ。。」この配役に関しては甲乙つけがたい。端正な顔立ちのミステリアスな少年、そういう役を何度もこなしている実力派俳優だ。菅田将暉主演の『3年A組-今から皆さんは人質です。』の生徒役で登場して目が釘付けになった。それまでも『アンナチュラル』『シグナル』等でメディア露出はあったようだけど、僕の初対面は人質の彼だった。
吸い込まれるような目、20歳前後とは思えない謎の色気をまとった俳優はめずらしい。
ミステリアス・腹黒・無邪気までのフリ幅ある演技ができるし、年齢の割にベッドシーンが多いイメージもある。安藤純という男を任せることができる信頼できる俳優だ。
どちらも観た感想、主演に関しては金子くんも神尾くんも本当に素晴らしい。そこにいたのはどちらも確かに安藤純であった。
人物別・映画ドラマ比較
安藤純と三浦紗枝
さて、ドラマ・映画の両作品を見た感想。
個人的にはドラマのほうが好きだし、完成度が高かったように思う。
最終的には細かい心理描写するだけの尺分ドラマが有利だった。映画2時間とドラマ30分×8話=4時間、この差は大きい。映画はどうしてもダイジェスト的にイベント消化せざるを得ない。肝である安藤くんの内面や、クラスメイトの揺れが映画だと物足りなさを感じる。
特に僕が好きなのはドラマでの観覧車告白シーン。安藤くんが喉から手が出るほど欲している「普通」を手にするチャンス。家族を愛して家族を求めて家族を諦めていた安藤からすれば、みんなが当たり前のように告白して付き合って結婚できる世界がどれだけ羨ましいか。あの観覧車での「欲しい」の狂気のような内面演出が堪らなく好きだ。
それが映画だとかなりマイルドになっていたのが、見ていて残念だった。いや、あれは金子くんの演技と演出勝ちなんだとは思うけれども、あのシーンが好きなだけあってアレを神尾くんが演じるとどうなるのかとても楽しみにしていたので・・・・。
一方で、映画版の好きなシーンはヒロイン三浦さんによる演説のシーンだ。
ドラマだとクラスメイト総出で教員たちを抑え込みながら演説をサポートしていたけれども、さすがに茶番感が拭えなかった。
その点映画では「人の話を遮るな」と指導された小野の意趣返しを食らい、スンと黙っちゃう先生方。まぁ、まだこっちの展開のほうが好みかな。どっちの展開にしろ終業式乗っ取りで腑に落ちる状況にするのは難しいだろうし。
三浦さんによる腐女子カミングアウト演説も、ドラマは冒頭から漫談を始めるかのようにスラスラとコメディタッチで話し始めたのに対し、映画はオタクがまとまりない脳内から必死に言葉を紡ぎ出しているような感じで演説は明確に印象が違ったな。妙に明るく腐女子を語るドラマ版三浦さん、狂気を感じて怖かった…。その後のクラスメイトによる擁護も相まってドラマ観ながら「これまですごく良かったのにどうしてこうなった・・と頭を抱えたなぁ」そういう意味ではドラマのインパクトは大きいんだけどね。
というか三浦さんのキャラ好きじゃないんだよね。結構ゴリゴリに主張してくるし
助演のクラスメイト
親友の亮平役、ドラマ版の小越勇輝は得オタ的には「仮面ライダーキバ」の中性的な顔立ちが頭から離れない。ドラマだと特徴的な髪型だったけど、原作もそんな感じなんだろうか。映画版の前田旺志郎はいい役者さんになったね。でもドラマと比べるとやはりマイルドな感じ。髪のインパクトだろうか。
そういやドラマでは「亮平とセックスする夢を見たことがある」と語っていたのに対して映画では「亮平のことそういう目で見たことないよ」って言ってた。原作はたぶん前者なんだろうけど、大人な男性と交際している安藤の好みから想像すると、後者が正しく、亮平を性的に見たことがないんじゃないかな。
小野役、ドラマ版の内藤秀一郎は仮面ライダーセイバーですね。このヒール役のおかげでマジで小野大嫌いですw
同様に映画版の三浦りょう太も嫌な役なのでやっぱり小野っちは嫌いですね。号泣して後悔している描写が入ろうが、演説のアシストをしてくれようが、マジで大嫌いだ。
映画の三浦くん、同年同季の土ドラ「顔だけ先生」で神尾くんの教え子なんだよね。同じ時期に見る学園モノで方や先生、方や同級生なんて不思議なものだ。(「顔だけ先生」の園芸部所属の色黒の子も「彼女が〜」のクラスメイトにいたよね)
取り巻く人々
安藤の交際相手のイケオジ枠。これは甲乙つけがたいな。どちらも大人男性の魅力・フェロモンを醸し出していた。元の芝居の上手さもあってどちらも「悪いイケオジ」でしかなかった。
誠さん、コウモリ男としての嫌悪感以上に、男子高校生をセフレとして抱えているってことに吐気がする。高校生側がパパ活みたいに割り切って互いに都合がいい関係を築いているならまだしも、安藤は純粋に誠さんに好意があるのが胸糞悪い。この先も安藤みたいな、繊細で純粋で美しい少年を貪って生きていくんだろうな。そんな都合いい若者なんかそうそう出会えないだろうが。
そういえば二人の出会いってドラマでさえも描写がなかったけれども、原作には全くないのかな。
安藤の母親
難しいけれども、尺の上で描写が多かったドラマ版のほうが好きかなぁ。
母子家庭で忙しく、なかなか一緒に食事もできないけれども一人息子の純を愛しているのがひしひしと伝わってくる素晴らしい母親だった。ドラマ・映画どちらも自然で迫真でとてもいい。それだけに母親と純のシーンのたびに胸が苦しくなる。「母さんも昔憧れの先輩がいてね」という振り絞った精一杯のフォローで地雷踏んでしまうのが痛々しくて…。これはドラマ・映画どちらもよかったけど、ドラマのほうが尺が多い分より生々しくてグロかった。
全く顔も明かさずにチャットだけでやり取りしていた相手。映画版では磯村勇斗が突然室内に現れて純と語り始める演出だった。純の心を吐き出せる重要な対話相手であり、物語の核であるファーレンハイト。そのクセ扱いが難しそうなキャラクターだなと感じた。ドラマを知っているから映画は不思議な演出で登場させたな、とか思ったけれども中盤で演出でしたよ、と種明かししてたから映画だけ見た人も理解はできそうだと安心した。映画版ではTwitterと質問箱でつながってそのままメル友(?)というかメッセージを送り合う仲になったという説明が細かくてよかった。
ファーレンハイトも安藤と同じく繊細で感受性が豊かなんだよね。難しい事柄を省いて「ただし摩擦はゼロとする」と安藤は例えた。ファーレンハイトもその意図を理解した上で「そうしないと理解ができないから世界を簡単にして省略する」と返した。抽象と具体を切り分けて例示に乗っかって返すことができる彼、めちゃくちゃ理解力あるよ。それだけの世界を見る目があるならば、もう少しだけ生きていてほしかったな。
映画では彼が死を選んだ背景が違ったと思う。親戚の兄貴に告白して親バレしたとかそんな感じ。ドラマだと年上の恋人がエイズで亡くなって親バレで線香もあげさせてもらえず絶望だったっけ。ドラマの設定が複雑だからか、彼はドラマでまた「世界を簡単」にするために作り変えられてしまったわけだ。。。
世界をわかりやすくするために摩擦をゼロにしている。
何気ない、耳に馴染みのある表現を、こんなに殺傷力の高い言葉にしてしまった筆者のナオトさん。Wikipediaによると自身の同性愛をカミングアウトしているとのことで、彼自身も安藤のような繊細なひとなのだろうかと想像してしまう。好きはLoveとLikeではない、勃つ好きと勃たない好きだ、というのも名言だ。
火10ドラマで「LikeじゃなくてLoveです」なんていう甘ったるい言葉で視聴者をキュンキュンさせている制作陣よ、そろそろ「不能イケメンの勃たない好き」を題材にしたドラマでキュンを作れるか試してくれないか笑
あ、水10の「恋です」がそれか。。。
原作がある作品の映像化。良い部分もあれば悪い部分もある。短いスパンでドラマも映画も作られ勢いのある作品。時期も近いから比較もしやすい。正直、ドラマが良すぎたところがある。ただひとつ分かるのは、原作が丁寧で美しくてグロテスクな素晴らしかったということだ。