ゆうがたヒーロー

日曜の朝でなくても誰だってヒーローに憧れてる

感想『モアザンワーズ』正しさからの逸脱、戻らない日々。流され続けてきた永慈の終着点

モアザンワーズ (1) (バーズコミックス スピカコレクション)

 

アマゾンプライム独占配信のドラマ『モアザンワーズ/More Than Words』

 

「ふたりの子を産む」って叫ぶ広告が妙に耳に残る。インスタでもツイッターでもめちゃくちゃプロモーションされる。調べると中川大輔くんでBLっぽい、ということで軽く観てみた。

正直映画だと思って2時間位で観終わるつもりだったけど、連ドラで一瞬だけ再生を躊躇った。しかし1話があっという間に終わる。あれ、と不思議に思うと30分くらいだ。なるほど連続ドラマといえど、1時間ドラマを10話もじっくり観ることのできる人が減っているご時世への配慮か。時間的な安心感を手に入れますますのめり込む2話。3連休の初夜はモアザンワーズに吸い込まれていった。(うまく言語化できなくて執筆に時間がかかりすぎた)

 

 

物語は美枝子とマッキーが出会う場面から始まる。彼氏の暴力から逃げ出した美枝子。

そんな彼女を癒やしてくれたのが隣のクラスのマッキーだった。仲良くなったふたりは同じ居酒屋でバイトをはじめ、そこで年上のお兄さんのエイジと出会う。

マッキーの男子高校生らしいノリと甘えに心優しいエイジはホイホイと受け入れる。

「夜このままドライブしよ」「じゃあ、この辺回って帰ろうか」「は?ドライブって言えば高速でしょ」

いつしかBBQしたり、別荘へお泊まりの計画を立ててみたり、3人の仲はぐんぐんと深まっていく。そして少しだけ流されやすくて、とにかく優しいエイジは陽だまりのようなマッキーに惹かれていく。

この青春パート、本当に胸が締め付けられるような美しさだ。映像美というかノリというか、マッキー役の青木柚くんの自然な演技が本当に高校生のようだった。うまくいえないけど、高校生のSNSで切り取られそうな青春の1ページ。どの場面も楽しそうなのが見て取れる。

 

 

全話を通じて特に演出が素晴らしい2話

物を語る「沈黙」

僕がこのドラマに感動したのはエイジが美枝子に「マッキーの彼女」について訊ねるシーンだ。

話は逸れるが現在『映画を早送りで見る人たち』(光文社:2022)を読んでいる最中だ。以前ネット記事でアップされて注目していた内容の書籍拡大版である。

正直なところ倍速再生になれている僕にとって、倍速ができないプライムビデオは使いにくいと最近感じている。テレビ画面で見れるFireStickTVもありがたい反面、Netflixまで等速再生になってしまう点を不満に感じ始めていたこの頃。「セリフのないシーンはいらない」とは言わないが、「間も含めて作品だ」という制作側の意図に対する共感もしづかった。さすがに10秒飛ばしはしないけど。

そこで前述のエイジと美枝子のシーンである。そこでの「間のとり方」があまりにも美しい。あの「間」は僕には完璧に見えた。言いたいことがある、聞きたいことがある、でもどこから切り出そうか、なんて言おうか呼び出したはいいけど言葉が出てこないエイジ。呼び出されたけど何の話だろう、えーちゃんはゲイだし告白とかはないと思うけど。とか思っていそうな美枝子。この二人の沈黙と焦れったさが映像中で完璧に表現されていた。

 

正直なところ、ファスト映画・倍速再生の観点で言えば話し始めるシーンまでは10秒飛ばしで先送りにされていてもおかしくない。でも、あのシーンだけは飛ばしてはいけないと思わせられたし、はじめて「倍速さえもしてはいけない」ような「間」だったとさえ思う。どこから切り出そうかと考えている10秒はきっちり10秒かけないと表現できない。気まずさと焦れったさ、この時間の流れは現実では決して早送りで飛ばせやしない。美枝子が「どないしたん」と尋ねてから実際にエイジが口を開くまで約40秒、マッキーについて話すのは1分半しかない。この短い時間、二人の演技に釘付けだった。それくらいに衝撃的な「間」であり、魅力的な沈黙だった。

 

孤独で繊細なエイジ

同じく2話にはもう一つ好きなシーンがある。冒頭のエイジがゲイイベントに初めて参加したときのシーンだ。「最近気づいた」というエイジは少しキョロキョロと落ち着かない様子で周りを伺う。その不安と好奇心が入り交じるような視線がとても良い。興味深そうに眺めているエイジに声をかける、こなれた男性。なんとなく僕はここでのエイジの対応に小さな緊張を感じ取った。初めてのゲイイベントでの会話だ。

エイジの好奇心は喧騒から離れた静かな廊下に移る。お酒を片手に唇を預けるエイジ。だが数秒で違うと感じるとその場を逃げ出し、さらに酒に走る。泥酔しながらポツリと呟く「普通になりたい」

1話終盤に登場したエイジ。2話冒頭で彼の繊細さと孤独感を見事に表現しているといえよう。

 

 

流され続けたエイジの半生

陽だまりのようなマッキー

少しだけエイジについて読み解いてみたいと思う。

丁寧な言葉遣いや上品なパジャマ、実家の自室にあったトロフィーと掃除整頓が行き届いたひろい一人暮らしのワンルーム。端々にエイジの育ちの良さが見て取れる。

実際エイジは、父親が会社経営しており別荘を持っているくらいに裕福な家庭に育った。そのうえ父親も特別厳しい教育をしてきた様子もなく「好きなようにやれ」というスタンスだったと見て取れる。妹曰く「昔からなよっちい、優しすぎる」エイジは、厳しくされなくとも、なんとなく流れに身を任せながら過ごしてきたのではないか。

 

そして優しいエイジには自分がない。誰か周りの人のためのお世話はするが、自分の意志ではないので誰かの意見に流される。

いつも流されるエイジが自分の意思で行動した数少ない場面、それがキスの拒絶だった。一度は流されていながら拒否をしたということは、よほどの違和感があったのだろう。最近自認した「男が好きかも」という意識とは裏腹な強烈な違和感。流される先がなくて相当困惑していたに違いない。

 

そんな迷走しているエイジに道を示してくれたのがマッキーだ。彼はいつも「あれしよう、これしよう」としてくれる。仔犬のようにはしゃぎ、太陽のように笑う。BBQで「いーから食え」と食べさせる。エイジはマッキーに振り回されることを心から楽しむようになった。マッキーのことが好きになるのは必然だった。

流されてきたエイジは自分の意思を表明することが少なかったんだと思う。それが美枝子に「マッキーの彼女」を訊く「間」を生み出した。

そしてやはり流れでマッキーに告白をして付き合うことになる。

初キスはマッキーからだった。この流されすぎる性格はあまりにも罪深い。

この初キスからの月日経過は青春感あっていい。短いながらも細かく衣装チェンジしながらワンカット風に演出していくのエモい。。。三人の幸せな関係性がよく分かる。

 

そしてエイジはやっぱり「流れ」で家族にマッキーと付き合っていることを話す。

(このカミングアウトされたときの佐々木蔵之介がヤバすぎた。いろいろな役者の視線や表情での演技を観てきたけど、表情を崩さずに表情が崩れていく演技なんて存在するのかと思った…)

エイジは優しい性格なのと同時に繊細でもある。家族に勘違いされたままだとバツが悪かったのだろう。そんな優しいエイジは自分の代わりに憤る妹や悲しむマッキーを見ていっそう明るくクリスマスパーティを楽しむ。自分の中のモヤモヤよりも周りの人たちを優先するエイジ。マッキーもその意図を汲み明るい空気感でクリスマスを満喫した。

 

美枝子の決断

そして時は流れ、マッキーと美枝子は高校を卒業する。その頃のエイジは居酒屋のバイトを辞めて藍染め屋で働いていた。なぜ藍染めだったのか、このあたりの展開は読み解けなかったが、さらにエイジは藍染め屋を辞めて父親の会社に勤めると言い出す。「いつかは継がないといけないと思っていた」と規定の「流れ」に従ったエイジ。何も聞かされていなかったマッキーは密かに心を痛めていた。ふたりの関係はうまく行っていそうなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。小さなわだかまりが増えていっているような、そんな寂しい表情をするマッキー。さらに悲しいことにそれに気付けるのはエイジではなく美枝子だった。

 

美枝子の専門入学式。高校からの友人である榊は彼氏と続いており、親公認の仲であることがサラッと明かされた。笑顔のエイジとマッキーはこのとき何を思ったのだろう。

その後の入学祝いのディナーでは、3人共本当に楽しそうにしていた。エイジの父から食事に誘われ快諾するマッキー。榊のような家族公認になれる夢と期待が、エイジをいつも以上に酔いを回らせた。その後の展開を思うと、本当に胸が痛い。

 

 

「別れてほしい」

 

 

シンプルでストレートで誠意のある絶望。言葉も返せず黙ったままのマッキー。激高するエイジ。だけども「流れ」に逆らえないエイジは解決策を見いだせず途方に暮れてしまう。そんな中で「私が二人の子供を産む」という突拍子もない提案に乗っかってしまう。道を示してくれる人に弱いエイジ、代理出産の「流れ」が進めばエイジは強い。流れをスムーズにするための資金集めや婚姻、勉強と余念がない。その「流れ」が正しいかどうかはもはや関係がない。エイジは自分で道を作れない。最大限に「流れ」に身を任せるだけだ。

そして最大の誤算は美枝子を気遣えば気遣うほどマッキーが阻害されてしまうことだ。

愛する人は自分に目を向けていてほしい、愛情を注いでほしい。当たり前の感情だ。自分たちのために体を張ってくれている美枝子を気遣うのも当たり前ではある。関係性のバランスが大きく歪んでしまう。3人それぞれがお互いを気遣い、飲み込んでいた。そして美枝子の小さな嘘で完全に関係が破綻する。

 

戻らない日々

最悪なのは「すでに引き返せない」段階まで計画が進んできていたことだ。この「流れ」は止められない。エイジはマッキーを追いかけることができなかった。探すことができなかった。マッキーがいなくなってしまったことにより、「流れ」は完全にエイジと美枝子を結びつけた。子供が生まれたときの場面、エイジは感涙していた。普通なら1コマでも涙がわかるように表情のアップでの演出があってもおかしくないのに、一度もなかった。さりげない涙も美しいし、強調しない演出も本当に良かった。

 

結果論になるが、エイジは父親の会社に就職した。マッキーとは別れた。美枝子と籍を入れて子供が生まれた。エイジの父が望んだ流れをすべて達成して、エイジがひとり酔いつぶれた夜につぶやいた「普通になりたい」を手に入れた。

ここまで書いてきたが、流され続けたエイジの物語の終着点としては実は理想的な結末なのではないだろうか。こんな結婚ありえない、マッキーの気持ちはどうなるんだ、当然いろいろな感想があるのも納得できる。しかし人は常に最善の選択をして生きているわけではない。その時々に考えうる最善が長期的視点で正しいとは限らない。選択の結果誰かが傷つくこともあるし、傷つかないようにしていたのに傷つけることもある。どちらを選択するのかで大きく未来が変わってしまうような局面に遭遇することもある。

僕ら視聴者は「どうしてこんな選択してしまうんだ」と思ってしまうが、そこで生きている当事者たちは悩んだ結果の選択なのである。この歯がゆい感想を持ってしまう理由は登場人物がリアルで僕らが入り込めるような演出だったからではないだろうか。

確かに3人で平和に子育てをする物語も見てみたかったのも理解できる。ただしその場合、子供が家族構成についてバツが悪いことを言われる未来が僕には見える。そしてやっぱりマッキーが、子供のために家族から身を引くような展開になってしまう気がする。

 

青春パートは本当に素晴らしくて輝いていた。3人の役者がめちゃくちゃ演技をしていた。それだけに幸せを願う気持ちも理解できるし、何かを選ばなければならない大人になっていくパートは見ていて辛い。ビターでセンチメンタルになれる最高のドラマでした。

 

 

 

原作者さんの気持ちがものすごいわかる。癒やしや正しさからの逸脱、「もう戻らない日々を抱えて生きていくしかない」がブレなくビシッとキマっていた。

 

 

 

ugatak514.hateblo.jp

 

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