ゆうがたヒーロー

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感想『PSYCHO-PASS』現代社会のと遜色ない世界観。どこまでがSFだからと笑えるのか

PSYCHO-PASS サイコパス VOL.4 (初回生産限定版/2枚組)【Blu-ray】

 

※この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。

あと、ある程度の脱線をお許しください。

 

 

6月某日。我らのアマゾンプライムビデオで「PSYCHO-PASS」が配信されました。

思い起こせば放送時、細かい設定はちょっと雑なような印象はあったものの、ノリと勢いで胸を熱くする展開が多かった。

それよりも「犯罪係数」「シヴィラシステム」を軸に再構築された世界観が近未来的でワクワクした記憶がある。

露骨に挿入される哲学的メッセージも、高校倫理以来「哲学・思想」という分野に興味をもっていた自分にはどストライクだった。(なお、小説の引用とかは当時も今も全くわかってない)

 

劇場版は当時の住まいの近くで公開はしていなかったので、ひとつも観ていないし、コミカライズ版や小説も読んでいない。

あくまでも「PSYCHO-PASS」の1期・2期だけの視聴者だ。

それでも、今回のプライムビデオ配信で懐かしさから観始め、あっという間に1期を完走してしまった。

当時、毎週心待ちにしていたものを一気見できるというのはなかなかな贅沢w

 

しかし、観れば観るほど、「えっと、これ何年前の作品だっけ」という感想が生まれた。我々の社会はまさに、この「PSYCHO-PASS」の世界へ確実に近づいている気がしてならない。考察と呼べるほど、資料を読み込んでいないし見直しもできていないが、今回は備忘録代わりに思ったことを書き連ねたい。

 

 

 

PSYCHO-PASS Complete Original Soundtrack

PSYCHO-PASS Complete Original Soundtrack

 

 

シビュラシステムというディストピア社会

PSYCHO-PASS」の世界観はすべてシビュラシステムで管理されている。犯罪係数が測定され、危険因子は隔離。社会に危害を与えない者たちとお墨付きをもらった人たちで住みよい社会を形成している。

この世界では「犯罪係数」がすべてであり、幼い頃から犯罪係数が高ければそれだけで社会から隔離され続ける。完全な管理社会だ。

 

なんとなく感じたのは現代中国である。急速に進んだ電子決済、その背景にある「芝麻信用」という信用点数制だ。

中国ではすべて信用が数値化されている。ランクが低ければお金を借りることはおろか旅行で公共交通機関を使えずホテルでの宿泊を拒まれ、結婚や就職に不利となる。政府公認のこのシステムは「信用ランクが高い人」には素晴らしく住みよい社会を形成し、「信用ランクが低い人」ほど社会から阻害され隔離が進んでいく。二極化を促すものだ。

僕自身は芝麻信用を活用していないし、活用している人からの話も聞いたことないので、的外れな話となるかもしれないがまさに、シビュラシステムの原型ともいえるのではないだろうか。

 

スコアを元にシビュラシステムが適切な就職先を決めてくれる。

作中の描写を見る限り、人生はそれで決まると言っても過言でないし、夢を見て努力して就職先を決めるといった価値観はとっくになくなったようだ。「なりたい職業」なんて概念は昔の価値観で、そんな夢をみるだけ馬鹿らしい。主人公の常守朱のように多くの選択肢があり、自由になりたい職業を選べることが稀だという。

しかし、彼女も就職先の決定には頭を悩ませた。適正が出ている選択肢からひとつを決定しなければなからなかったからだ。

「すべてシステムが教えてくれる」一見楽であるが、意思決定のトレーニングをしていないと自分でなにかを決める、ということができないのだ。

なお、1期のボス、槇島はこのシステム・社会に憂いを感じている。社会全体がシステムに依存しており人間としての尊厳を失っている。意志に重きをおいている彼にとってはこの親切設計な社会に強い違和感を感じるのも無理はない。

 

 

SNSの台頭と「考えない」社会

では、PSYCHO-PASS世界まで技術が進んでいない、この現代社会ではどれほど「考える」ことに比重をおいているだろうか。

「考えるな、感じろ」「とにかく行動」等、動くことは推奨される。仕事の上でも考えろという割にはとにかく手を動かせといった側面も未だ根強い。

テレビや広告なんかは「バカでもわかるように」作られるのが当たり前。「これが伏線ですよ、覚えといてくださいね」といった露骨で意味深な描写をし、「泣き所はココですよ」と盛り上げてBGMをかけて僕らの感情さえもわかりやすく煽る。

わかりやすい演出だから、それを観ながら「あぁ、これは悲しいんだな」といった感情を学ぶことができる。ある程度「製作者の思惑」通りにことが進む。

 

時代の流れが止まっていればそれでもよかった。SNSの台頭。これはテレビや広告業界に痛手を与えた。

特権だった「発信権」が失われ、誰もが「発信者」となった。Youtuberが増え自作の漫画やイラストを公開し、誰もが人気者になれる権利を手にした。

そして、発信者になったひとたちも共通して「誰もがわかりやすい」といったことに比重をおいてクリエイティブ活動をしている。TV番組のようなテロップをつけたり、物事を単純化し、イラスト付きの漫画で読者に訴える。長文ではだれも読んでくれないからである。(こんな長文ブログ、ここまで読んでくれる人がどれだけいるのだろうか笑)

 

ブログのような長文から140字の短文へ。文字ではなく写真やスタンプへ。我々の社会は確実に頭を使わずに直感的に情報を伝達するかに移行している。

多くの人に観てもらえる・興味を持ってもらえるような工夫はする。いかにして消費者サイドに頭を使わせないか、そんなことばかりに頭をひねる。「こうすれば多くの人に見てもらえますよ。」シビュラシステムにそんな提案までしてもらえれば、皆よろこんでシステムの導入を受け入れるだろう。誰もが余計なことを考えず楽に何もかもを決めてほしいのだ。

 

 

PSYCHO-PASSの世界ではシビュラシステムに絶対の信頼を寄せている。余計なことを考えず、誰もが最短ルートで人生を攻略(?)できる

イメージホログラムで部屋や街を彩り、自分を着飾る。感覚が支配する社会。社会には危険因子がいないという思い込み。裁判制度がなくなって久しくなりトラブルの対処方法なんて誰も知らないのだ。みんな考えることなんかしない。街のど真ん中で誰かが撲殺されていても、シビュラシステムが異常とさえ判断していなければ、そこに平穏な日常との違いはない。

 

 

無関心な人々

周囲の誰かのサイコパスをコピーするヘルメット。これを装着した男が街のど真ん中で女性をボコボコに殴りつけて殺害をした。

多くの人間が周りを取り囲み、その様子を動画撮影する。被害女性は助けてと声を上げることさえもできず、ドローンの「大丈夫ですか?」という無機質無関心な心配が虚しく響いた。ドローンは自らで「異常」を判断することはない。サイコパスが上がる等の条件が揃うか、被害者や周囲の人からの通報があってようやく動き出す。

ただ黙って動画を撮影している人たちはある意味ではドローンとかわりがない。

 

 

殺害現場の動画撮影。その異常な光景を放送当時は「まさか」と思っていたに違いない。しかし、世界は確実に同じ道を歩んでいる

2019年某日。3つの衝撃的な事件があった。

大阪梅田の百貨店からの飛び降り自殺。東京新宿のヤンデレ殺人未遂。名古屋栄の殺人動画配信。

いずれも人の生死に関わる事件だ。地上波のニュースですら流さないような生々しい惨状が惜しげもなくSNSにアップされた。つい先日そんな出来事があったばかりだったため、サイコパス世界を初所詮SFだと笑えなくなってしまっている。皆、話題の発信者になることに関心はあっても、人命救助には関心はない。「関わりたくない」と現場から立ち去る無関心よりたちが悪いとさえ想う。もはやシステムの異常判定がなくとも我々は異常を察知できなくなってしまっているのかもしれない。・・・いや、異常であることは認知しているからSNSに投稿するのか。。。

 

 

サイコパス世界は近未来設定の割に妙に現代的だ。自動運転らしいが車は道路を走り、空は飛ばない。瞬間移動もなければ、おそらくスター・ウォーズ世界のようなホログラム会議もない。シビュラシステムとかいう最新鋭のコンピューター技術と謳いながら実はバリバリの力技。人間の脳の連結拡張によるある意味「マン・パワー」という実態。

そんなチグハグな世界観が妙に現代社会を想起させる。果たして、5年後・10年後に僕らはどんな社会をつくっているのだろうか。その頃にもう一度PSYCHO-PASSを観てみたいような気もする。