誰しもなにかに「思い入れ」がある。
昔から見ているヒーロー番組だったり、昔に見ていたモンスターもののアニメーションだったり、最近ハマっている海外ドラマだったりする。
「思い入れ」それ自体には追いかけている年月も、豊富な知識や考察も必要がない。作品になにかしら「思い」があればそれでいいのだ。
そして「思い入れ」があるから新作の発表には歓喜し、「思い入れ」があるからこそ不安になる。「思い入れ」故に興奮や感動を期待するのと同時に、ハードルを上げすぎてしまうきらいがある。
もしも自分の思いと方向性が違っていれば、自分の気持ちや思い出を踏みにじられたような、そんな後ろくらい感情すら湧き上がってしまう。
だからこそ、「思い入れ」が強い作品は非常に怖い。
なぜこんなに熱狂しているのかはわからない。僕はゴジラに「思い入れ」がある。
『シン・ゴジラ』にも歓喜したし、『ゴジラ・キングオブモンスターズ』は「これこそがゴジラだ」とさえ思った。
そしていま、『シン・ゴジラ』以来の和製ゴジラがここに解禁された。
どれだけ楽しみにしていて、どれだけ不安だったか。
公開初日の初回上映で観ることができて、本当に良かった。
僕はこの『ゴジラ-1.0』をめちゃくちゃ楽しむことができた。
本作は比較的オーソドックスなストーリーラインだと感じており、特別に奇をてらったような展開があるわけではない。『シン・ゴジラ』を初めてみたときの「なんかすごいものを見た」という感じではないのだ。登場する怪獣もゴジラだけなので、「キングオブモンスターズ」のような大怪獣総決戦があるわけでもない。
うまく要素を抽出して言語化できないけれども、良くも悪くも邦画っぽさが色濃く出ており、その邦画っぽさが安定感を与えてくれる。
そこに「ゴジラ」という存在の魅力を存分に配置することで、このマイゴジが完成する。
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・・・・なにか言っている風だが、なにも言っていないことをお許しください。
本当におもしろかったんです。
だけど、何がどうおもしろくて、刺さったのか、まだ咀嚼ができていないんです。
絶望の権化ゴジラ
そもそも、僕はゴジラのどういう部分に魅力を感じていたのだろうか。
ゴジラとは、未確認の知的生命体とは違う、圧倒的な理不尽であり、畏怖の対象である。いうならば絶望だ。
交渉し出し抜くことも交流して和解共存することもできない。人間はその破壊を止めることができずただ呆然と立ち尽くすしかない。戦争や天災、核に怨念、いろいろなもののメタファーとなってきたゴジラは、いつの時代も抜きん出た破壊の象徴として人間を殺戮してきた。
僕はゴジラが街を闊歩する場面が好きだ。
一度上陸すればひとは逃げ惑うしかできない。ひとが築き上げてきた建物も電車もすべて無に還す。天災が去ったあとのまっさらな絶望感。この絶望があるから、未来への希望が際立つ。
マイゴジはこの絶望感の演出がとても秀逸だった。
神木隆之介演じる主人公は、終戦直前にゴジラに遭遇していながら生き残ってしまう。そのときの犠牲が彼に暗い影を落とした。両親を亡くし何も残っていない彼に、守っていきたいと思うような相手が現れる。生き残ってしまった罪悪感から一歩踏み出そうとした矢先、ゴジラが銀座を蹂躙し、主人公をかばうようにヒロインが吹き飛ばされる。
次の瞬間には、そこには無があるだけだった。
主人公にとってこれほど理不尽な相手はいない。これほどまでに絶望的な瞬間はないだろう。「生きるんだ」と強く願った者が目の前から消えてしまい、また生き残ってしまう。マイゴジにおけるゴジラは、過去にないくらい、表現しきれないくらいに絶望的な存在だった。
ゴジラから見出す希望
ゴジラシリーズはゴジラが単騎で大暴れする場合と、他の怪獣とバチバチと戦う場合がある。ゴジラのライバルと言えばモスラであり、キングギドラであり、キングコングやメカゴジラなんかとやりあう。怪獣バトルにおいて、人間なんてちっぽけな存在であり、殆どの場合はことの成り行きを見守ることしかできない。迫力のあるバトルが魅力でゴジラのヒールっぷりが際立ち、これはこれで楽しい。
一方でゴジラが単騎で暴れまわるとき、ゴジラを止めるために人間が叡智を結集させる。昔は怪獣バトルが大好きだったけれども、大人になったいまでは、シン・ゴジラのように皆で協力してゴジラに対処しようとするおもしろさを理解できるようになった。
今回のゴジラも他の怪獣が出てこないため、ゴジラの足元にも及ばない人間たちが一生懸命に理不尽にあがらう。そこには恐怖がある。でも希望がある。
共通の目的を持って、危険を顧みず一致団結する姿は鉄板だけども美しい。
人類は幾度となく絶望を経験してきた。生き残った誰かが、生き残った責任で、希望を持って復興してきたから今がある。
「希望っていうのはタチの悪い病気だ。それもひとに伝染する」悪役は希望を嫌悪し、忌々しい希望の芽を摘もうとする。希望の芽が摘まれない限りは何度でも立ち上がり立ち向かってくる。紆余曲折がありながらも前向きなエネルギーが功を奏して最終的には目的を達成するようなサクセスストーリーは気持ちがいい。
絶望のマイナスがプラスに転じたマイゴジはオーソドックスながらも熱くこみ上げるものがある。
終戦後の日本を舞台とした本作のゴジラ。キャッチコピーは「生きて抗え」
本作を端的に表現したこのキャッチコピー。絶望は希望へつながる。僕らは何よりも生きていかなければならない。娯楽映画でありながら、ガツンと殴られるような気持ちになる強いメッセージを受け取った。
ところで『君たちはどう生きるか』というジブリ作品も今年公開された。やはり、コロナ渦からの戦争という先行き不安な情勢が、こうした「生きる」ことをテーマとして映画を制作しているんだろうか。
ゴジラの伝承
庵野監督による『シン・ゴジラ』や、ハリウッドによる「モンスターバース」シリーズのゴジラ。古くからのシリーズで思い入れのある人も多いゴジラだが、ここ最近は大変におもしろい作品が多くて驚いている。ゴジラ作品のハードルはずいぶんと上がってしまった。
そんな中、「ゴジラの新作を作りませんか」と誰がそんなオファーを受けるだろうか。誰しもそんな”貧乏くじ”を引きたくはない。
ゴジラの討伐が必須課題だったマイゴジ世界の住人と違って、僕らの住むこの世界で新しいゴジラを制作する義務はない。それでもゴジラという灯を絶やさずに後世に託す責任を背負ってくれた監督には頭が上がらない。
『ゴジラ-1.0』本当に面白かった。これはもう一度劇場で見てみたい。
またひとつハードルが上がってしまったゴジラシリーズ。
つぎはどんな絶望が待ち受けているのだろうか。