過去に浸ることは悪いことなのか?デジモンラスエボから蘇る思い出
『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』
あまりに気に入ったので02周目を観てきた。デジモンたちはかわいいしマイペースだ。
02組も仲がよろしくて、チームD2主体でサイドストーリーが見てみたい。
計算して地味に驚くのが伊織ってまだ高校生なんだよね・・。
制服の時点でうすうす思ってたんだけど、02放送当時から計算すると
太一 14歳(中2) →22歳(大学4年)
大輔 11歳(5年) →19歳(大学1年)
伊織 9歳(3年) →17歳(高校2年)
うわぁ・・・。なんだろ太一がヤマトと酒を飲み交わすことに感じた時の流れとは違う驚きだよ。高校生って・・・若!
もともと大輔と違って落ち着いた人柄だったからね。。まだ部活に勤しむ高校生でしたか。
気づいてちょっと驚いた。
そして改めて、やはりデジモンは音楽がたまらない。
五感に染み付いた「あの頃」は音楽一つで時代を一気に遡る。
公式が描くデジモンの続編映画ということで思いっきり感傷に浸らせてもらえた。
本作のテーマも「成長」らしく、過去に浸るのは辞めて覚悟を決めて前を向いて歩んでいこうといった締めくくりだ。
だが待ってほしい。これだけ僕らの「思い出」を掘り起こしておいて、「さぁ、思い出はおしまい!未来に向かってがんばろう」っていうのはあまりにも鬼畜ではないだろうか。
最近、ちょうどデジモンが刺さる年代にターゲットを絞ったリフレイン作品が多い
1年前には『コードギアス』が総集編を経て新作が公開された。
仮面ライダーも20作品目記念に、過去のレジェンド達があの頃の役で次々と発表され出演していた。
2019年末には昔ハマっていた『デュエルマスターズ』がアプリによって蘇っている。
ボルメテウスホワイトドラゴンや精霊王アルカディアス、悪魔神バロム、この名前を聞いて心が疼かないデュエリストはいないだろう。
2015年『デスノート』はドラマ化、2016年のオリジナル映画や2020年の舞台化を乗り越えついに漫画で完全続編が読み切りが掲載された。リュークやニアのいるキラ事件が起きた同一世界のその後が描かれた。
この流れにこの『デジモンアドベンチャー』の続編がありさらに『おジャ魔女どれみ』のその後が控えている。(おジャ魔女は記憶も怪しいけど)
さらにドラマでも『ドラゴン桜』の続編が発表されている。
もうダメなんだよ。一生懸命未来を歩んできたけど、これだけ畳み掛けられるとその思いも負けそうになる。
いまが令和だとか2020年だとか思えないくらい平成中期の匂いがすごい。
ついついあの頃のコンテンツに手を出したくなる。
デジモンラスエボを観たあと、Amazonプライムビデオで「デジモンアドベンチャー」「僕らのウォーゲーム」「黄金のデジメンタル」「ディアボロモンの逆襲」をおさらいした。
改めて観てもこれらの完成度の高さは目を見張る。「デジモンアドベンチャー」の特撮怪獣映画感、未知との出会いと友情、別れ。セリフも人物も少ないが20年前の20分短編のクオリティとは思えない密度だ。さすが細田守。
おなじく細田監督の「僕らのウォーゲーム」もたった40分。絵作り見せ場作りがテンポよくムダがなく遊びがある。世代的なのもあるがやはり「サマーウォーズ」より短い分濃縮された見どころがある。
その続編「ディアボロモンの逆襲」は監督こそ違えど作品リスペクトの絵のタッチで登場人物も多い中30分でキレイにまとめている。
今回、見直して一番の収穫は「黄金のデジメンタル」だ。
正直あんまり記憶になかったし、なんとなく暗いイメージしかなかった。
それでもラスエボでワンカット映っただけで(あ、映画の人だ)とわかる。
再度観てみると、今回のラスエボと根底が同じだ。ウォレスと別れてしまったチョコモンの「あの頃に戻りたい」という気持ちとの対峙。作風とBGMが輪をかけて切なさを演出する。
チョコモンと再会したウォレスは「そっちには行けない」=過去に戻ることを明確に否定する。
そして過去に囚われたチョコモンを内部から倒し、また未来へ向かっていくエンドだ。
圧倒的な力の差を見せつけるケルビモンのラスボス感絶望感が半端ない。デジモンお手玉からのぶん投げにセラフィモン&ホーリードラモンをワンパンして、マグナモン&ラピッドモンを取り込んだ時はまじで「え、勝てんのこれ」となる。
根底は同じでも圧倒的実力差という観点ではエオスモンより悪質。
さて、どちらも「過去に囚われた敵」が現れ、仲間たちを「あの頃」へ閉じ込める。
そして主人公は葛藤しつつも否定して未来へ向かっていく。
過去との対峙は昔からお約束のシチュエーションだ。
『クレヨンしんちゃんモーレツ大人帝国の野望』では大人たちは昭和へ思いを馳せ21世紀が来ない世界をつくるが、野原一家はそれでも未来を望む
『コードギアス』では過去回帰を望むシャルル夫婦をルルーシュはハッキリと断罪する
過去に囚われるのはいつも悪だ。そもそも囚われるという表現が悪い印象を与える。
いつも主人公は前に進んでいこうと正論をぶちかまし、過去に囚われた敵を「救う」のだ。
しかし、過去に浸り囚われるのはそんなに悪いことなのか。
悪役のやり口はいつも「ほらこんなにも過去を望む人がいる」
実際そういうシーンではみんな過去をエンジョイしてる描写になる。
もし、もし仮にいまこの世界で過去に囚われた人物の陰謀によって、僕の年代が懐かしいコンテンツを意図的に掘り起こしているのだとしたら僕はいま完全に「過去を望む」側にいる。
痛みを伴いながらも未来へ進む覚悟を決めた太一とヤマト。たぶん正しいことだ。
でも常に目標を立てて計画を遂行する、そんな未来へ生きるのも疲れてしまう。
「もいちど子どもに戻ってみたい♪」とは言わない。
「大人になれない僕ら」とまでも言わない。
でも僕ら大人にだって過去に浸る余白を残してください。
色々な「選択」をして「可能性」を狭めてきたけれども「瞬瞬必生」で平成の時代を走ってきた。やり直すべき「醜い平成」なんかじゃない。
過去から進めない人を歩ませることだけを「救い」と言わないでください。
少しだけ、気の済むまで歩みを止めてゆっくりと過去を謳歌させてください。
だから僕はこれからもデジモンを愛しデュエプレをしていく!笑
ラスエボの話に戻って申し訳ないんだけど、
エンディングに合わせて選ばれし子ども達の劇中その後がワンカットずつ挿入されてじゃん?
あれ、もしかして02組(タケル&ヒカリ含む)のカットにはパートナーデジモンが映ってたんだけど、無印組は太一ヤマト空以外のメンバーもデジモンと一緒じゃなかったよね。
エオスモン戦後遅からず他の無印組もパートナーとの別れがあったともとれるんだけどどうなんだろう・・・