ゆうがたヒーロー

日曜の朝でなくても誰だってヒーローに憧れてる

感想『映画 騙し絵の牙』騙される楽しさよりも仕事に対する様々な考えがおもしろかった

騙し絵の牙 (角川文庫)

 

大泉洋は騙されることが似合う

しかし立場が逆転するとき、僕たちはその男の末恐ろしさを実感する。

 

 

本書は原作者が大泉洋をイメージしながら大泉洋を研究観察して完成したという。

そのため、当然主演は大泉洋

騙されることが似合うこの男、嘘くさい笑顔に日本中が騙される。

 

映画は原作を分解して再構築してあるらしい。原作を知らない者としては、正直嬉しい限りだ。僕の場合、映画から原作に入ると、どうしても映像をなぞった印象が拭えず、文字ならではの表現や感性を味わいにくくなってしまう。原作を楽しむ機会がまだ残されているのはありがたい。とはいえ、再構築は一種の賭けだ。やりようや内容によっては原作ファンを怒らせることだってある。つまり、忠実に再現することよりも遥かにハードルがあがってしまうのだ。

 

知っている原作が映画化する場合、あの場面はどう表現するのだろう、とワクワクしながら映像を楽しむことができる。漫画の実写化の場合は、すでに画がイメージできているのでそれに忠実であれば満足できるが、世界観をうまく構築できていないと感じてしまうと、とたんに映画そのものが陳腐に見えてしまう。

アニメ化or実写化や映画化はその原作を知らない人への営業販促活動なのだが、どうしても原作ファンのほうが期待をしてしまう。この需要と供給のアンマッチはなかなか難しい。

 

 

意味不明な前置きが長くなってしまったが、この映画の感想は「まぁまぁおもしろい」「そこそこ楽しめた」となる。

大泉洋演じる速水が、見ている観客さえも「あっ」と騙すような仕掛けがあるのかと期待しすぎた面は否めない。

 

どちらかといえば、お仕事系映画としての楽しむことが出来た。

苦境に立たされる出版業界。「伝統」ある文芸作品が赤字を垂れ流す。その一方で個性を集めた面白い雑誌で社をもり立てていくサクセスストーリーは見ていて痛快だった。

広告費と売上を天秤にかけ、モラルギリギリを攻める商業主義は格式や伝統に重きを置く文芸部にプレッシャーを与えていく。それぞれが相手を出し抜くような奇策で生き残りをかけて戦っていく。

 

お仕事系として特にイイなと思ったのは、現代社会に対するセリフの数々。

伝統を守ろうと思う者は「伝統は一度壊したら戻らない」という。

改革が必要だと思う者は「現代的にアップデートが必要だ」という。

どちらも一理あるし一方に寄ることは出来ない。

ただ決定的だったのは、「準備に5年もかけた肝いりのアイディア」に対する「おそすぎた」という感想。申し訳ないけどこれだけは真理だと思う。

インターネットの発達で、世界はどんどん処理速度を増している。昔であれば失敗しないように充分な用意をして挑むことが出来た企画は、今や用意をしているうちに時代は終わる。「走りながら考える」ことが求められ、その場その場での問題をレスポンス良く処理していかないといけない世の中になっていると思う。

たしかに、土地を扱ったり建物を立てたりするのには時間がかかる。だからといって着手まで5年もかけているようなスピード感ではあまりにも現代の感覚から乖離してしまっている。

 

「守ることよりも攻めるほうが楽しい」

失敗をしてはいけない空気感であると、絶対に出てこない言葉だ。積極的にチャレンジして大損する前に見切りをつける。スピードを意識しながらどんどん挑戦的な仕事をしていきたい。

 

 

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感想『機界戦隊ゼンカイジャー』悪の組織の掃除係がゼンカイジャーに合流。掃除人ブルー放浪記

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ブルーン放浪記

機界戦隊ゼンカイジャー。ついに5人のメンバーが揃うこととなる。

好奇心旺盛なブルーンはキカイトピア世界について知りたくて、多くの情報が集約されているトジテンドに自ら飛び込んでいった。

しかし、期待とは裏腹に上司イジルデは何も新しい情報を与えてくれなかった。

「上司の命に従っていればいい」「下っ端は余計な情報を知らなくてもいい」多くの会社員は一度は聞いたことがあるであろうこの言葉は不信感しか与えない。

 

ついにブルーンはトジルギアで閉じ込めた世界が開放されていることに気づく。

それだけならまだしも、イジルデに問いかけてしまったことでトジテンドを追われる身になった。いわゆる「勘のいいガキは嫌いだよ」状態だ。

情報という財産を独占することで地位を優位にするタイプの組織。こういった組織は不都合な情報は隠蔽し情報源を排除することが正解とされる。イジルデはトジルギアの秘密を独占するために手を打ったのだ。

こうして好奇心旺盛な代わりにちょっと空気の読めないブルーンはゼンカイジャーと出会う。

 

ゼンカイジャーの面々、特にカイトは優しかった。子供のように「あれは何?」「これは?」という質問に対しても邪険に扱わずに丁寧に答えてくれる。そしてあらゆる情報を仕入れることができる図書館の存在を知る。ブルーンがこの世界を気に入るのは必然だ。たぶん、インターネットなんか知ってしまったら気持ちが高まりすぎて熱暴走・オーバーヒートするんじゃないか?笑

でも、好奇心で自ら新しいメカや武器をつくったり、自分を改造するようなこともやりそう。インターネットに接続して最適な情報を探せるようになるインテリジェンスパワーアップしたらおもしろそうだな。有機生物の恐竜・ライオンと特殊能力の魔法・メカそれぞれ違った方向性でパワーアップイベントなんかあってもいいかもしれない。

 

かくしてブルーンはイジルデの部下を辞め、戦う選択をする。

ゼンカイジャーに「悪の組織を追われた掃除係が仲間になった」初戦闘で「掃除は得意」と叫んだ。

部分的に切り取るとめちゃくちゃ有能で強そうな味方が増えたように聞こえる笑

実質の追加戦士枠だよ、この設定。さすが設定もりもりのゼンカイジャーだ。

 

このままイジルデとの因縁を引っ張って言ってほしい。最後にはブルーンの好奇心・探究心が勝利の鍵となってくれると最高だ。

 

スーパー戦隊とカラーリング

キラメイジャーでも書いたけど、戦隊における青の役割って本当に変わったな。リュウジとかノッさん、トカッチのイメージとダブる。メガネキャラブルーは絶対トカッチから輸入してると思うんだけどな〜。にしても純粋シンプルなクール系ブルーはまたしばらく現れないのかね。為朝が黄色かったのが悔やまれるけど、黄色の地位向上にこの上ない成果をあげてくれたから許そう。

色によるイメージの脱却。これを女性レッドやうざキャラブルーを配置したシンケンジャーからの東映の計画だとしたら10年以上かけて確実に成果を出しているものと思う。

キュウレンジャーで初めて女性グリーンを採用したり、トッキュウジャーで色を乗り換えたり、ゴーカイジャーで全員同じカラーリングになってみたり。少しずつではあるけれども新しい試みをしていることは確かだ。

固定概念にとらわれずにチャレンジしていく。ゼンカイジャーの主役が白なのもその挑戦のひとつだ。追加戦士は女性であると信じているが、その場合のカラーリングも楽しみである。

 

 

メンバーが揃ったところで物語が動き出すかと思ったけど、次回予告見たらそんなことはなかったぜ。

次回は寿司回!寿司回…??考えるな。感じろ。

 

 

 ↓戦隊ブルー考察記事

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感想『ゼロワンOthers 仮面ライダー滅亡迅雷』アークの意思を越え、滅は向かう

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つい、「仮面ライダー滅亡迅雷.net」って言いたくなる。netまで含めて滅亡迅雷なんだよなー笑

 

バルカン&バルキリーも発表された「ゼロワンOthersシリーズ」

Othersのロゴが「01」「here」を強調していて「ゼロワンは(いつも)ここにいるよ」というメッセージを感じ取ることができる。このロゴセンス好きだわ。

悪の組織側のスピンオフ・Vシネって珍しい気がする。エターナル以来?ゲンムも悪側ではあるのかな。

まぁ、滅亡迅雷.netはスピンオフできるよね。わかる。めちゃくちゃかっこいいもん!

 

イケメンパパ滅と、子供メンタルの迅と、成長していく暗殺ちゃん含めた3人パーティ時代から個性が際立っていた。特にイチオシは子供迅。子供に内在している無邪気さと残酷さがゼロワン1クール目を牽引していた。

 その後も無自覚に飛電のスパイとして働いていた雷や不破をつけねらう謎の男として鍵を握っていた亡を投入。ザイアの天津にヘイトを集中させつつ、ときに協力してときに敵対しながら呉越同舟でゼロワンの物語を引っ張り続けた。

そして、人類・ヒューマギア共通の敵としてひとの悪意・アークを打ち負かした。

厳密には或人と滅は悪意に打ち勝ったが、悪意はだれの心にも芽生えるものとして終幕する。最終回では滅と迅が悪意を感知してアークの芽を紡ぐ者として自分たちの役割をリニューアルして再出発している。

そんな悪意を見守る滅と迅の活躍は『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL X TIME』で見ることができる。

 

今回の『ゼロワンOthers 仮面ライダー滅亡迅雷』は劇場版のその後の世界である。

今作の最大の見どころは「滅亡迅雷.net」の同時変身。これが見れて本当によかった。それにやっぱり仮面ライダー亡かっこいいわ。

 

では、以後ネタバレありで感想を語っていこう。

 

 

 

 

 

 

 仮面ライダーゼロワンの物語はここに来て悪意・アークとの戦いから次のステージへ突入する。それは悪意による戦いではなく、正義と正義の戦いである。

暴走する正義。行き過ぎた正義感。これは悪意よりも強力な原動力になるという。或人や滅のような強いメンタルがあれば、悪意による負の連鎖を断ち切ることができる。正義はそれだけで正当性がある。常に正しい選択や判断を求められる現代に置いて「正しい」ことが正義なのだ。この正義の正当性をぶつけあう戦いが行き着く先は暴力だ。

 

 

武器商人:財団Xになれなかったザイア

ここに来て、いままでのゼロワン世界以上に現代社会の風刺的テーマを扱ってくるとは思っても見なかった。正直に言えばコードギアスのようなどちらの言い分も理解できる「正義VS正義」の展開は好みである。多くの人を扇動し能動的に戦いを駆り立てる分、悪意を植え付けるよりもエグくて笑う。

滅亡迅雷側はザイアに対して、「ヒューマギアの開放」を求める。ザイアがヒューマギアの意思を奪い、軍事兵器に利用することに憤ったからだ。

ザイア側は意識的に滅亡迅雷.netの正義感を煽る。ヒューマギア開放のため暴力に訴えることも織り込み済み。これを利用して絶対的な悪「滅亡迅雷.net」を作り上げて悪を排除するために軍事兵器としてのヒューマギアの必要性を訴える。

さすがヒューマギアを出汁として悪に仕立て上げ、ザイアスペックを売ろうとした会社。天津のやり方はザイアの企業文化に則った販促戦略だったことがわかる。

ちなみにゼロワンにメタルグラスホッパーの能力を与え、意気揚々と挑み敗北した天津。今回も滅亡迅雷.netに対して自分が制御できない大きな力を与えて、大敗する。これは人が変わってもやり方も全く同じなのがさすがザイアとしかいいようがない笑

 

というか、ザイアってヒューマギアに対抗してザイアスペックを販売してたよね。なにしれっと軍事用のヒューマギア開発・販売してるんだよ。迅ってザイアが修理したヒューマギアなんだけど、飛電製とシステム互換あるのか?それに本編ラストで意識は唯阿が復元してたけど壊れたボディを直したのはザイアなのかね。あと、ヒューマギアって「自動車」「テレビ」みたいな商品郡の一種なのかな。そうなると飛電インテリジェンスの商標じゃないことになる。そうなると飛電インテリジェンスはゼロワン世界においてヒューマギア事業の寡占企業となるし、ってことはザイアのような他社製のヒューマギアも存在することになるのか。よく考えてみれば突き詰めれば案外なぞが深い世界観だ。

 

 

滅亡迅雷.netの意思のままに

ゼロワン世界の設定の中で、どうしても納得できない設定。それはヒューマギアの人権問題だ。僕個人としてはAIもロボットも、「道具」である事実は覆しようがないと思っている。つまりこの考えは滅亡迅雷.netにとっては許されるものではない。抹殺される

だからどうしても「ヒューマギアの自由意志を認めないザイア」に対する怒りには共感できない。そもそも大半のヒューマギアはシンギュラリティに達さない。

シンギュラリティに達することこそ至高という迅の発想は、人間が自己成長を押し付けられるような息苦しさを感じる。

ザイア製のヒューマギアはゼアに接続するのとは違い集合合議システムによる決裁制を採用している。ヒューマギアに意思なんてものは認められない。

 

ヒューマギアの開放、自由への躍進が叫ばれている。しかし、自由というものはほんとうにいいことなのだろうか。自由でなんでもできることは逆に不自由になることもある。やりたいことを自由に選択できるようになったからこそ、何をやりたいのか悩むことになる。特定の役割をラーニングしたヒューマギアに、本当にやりたいことなんてあるのか。

 

 

なにはともあれ、滅亡迅雷.netはザイアに対抗して強大な力を手に入れた。

滅は不破に「大切な人を傷つけられたら許すのか」と問うた。不破は「許すわけない」と返す。これにより滅はひとつ吹っ切れて迅・亡・雷と合流してザイアとの決戦に臨む。このときの大切な人というのはヒューマギアの同志だったのだろうか。滅は許すことが正義なのかもしれないと悩んでいたのかもしれない。これが不破ではなく或人との問答であればまた違う答えになった可能性もある。かくしてザイアとの聖戦に足を踏み入れる。

 

その結果、滅亡迅雷.netは世間にとっての絶対的な「悪」の象徴として名を挙げてしまう。そのうえ滅亡迅雷.netの肉体を破壊し、暴走状態になったまま作品は幕を閉じた。

事実上のバッドエンドだ。

 

そのままバルカン&バルキリー編へ続く。「仮面ライダー滅亡迅雷」作品単体としては最悪の結末だ。こういう構成であるのならば前後編とはじめから銘打ってほしかったところはある。バルカン&バルキリーも宣伝したいのはわかるが、このやり方はどうなんだ。エグゼイド編みたいに最初からシリーズとして発表しておくか、ビルド編のように作品として独立した物語を展開するのが筋だ。本当に「滅亡迅雷」組が好きだった人にとっては声が出ないようなクライマックスだったに違いない。

 

滅亡迅雷.netの絆の深さやヒューマギアへの愛が仮面ライダー滅亡迅雷を生み出した。4人は自分たちの意思を越えた制御できない力を手にしてしまった。バルカン&バルキリーではどう締めくくるのか。このつづきは秋までお預けだ。ついに完結するゼロワンの物語、トゥルーエンディングとなってくれることを祈る。

 

 

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感想『窮鼠はチーズの夢を見る』話題の和製BL。ベッドの上での成田凌の演技力と大倉忠義の色気

窮鼠はチーズの夢を見る 豪華版 (Blu-ray Disc)

 

窮鼠とは「追い詰められて逃げ場を失ったねずみ」だそうです。

 

和製BLとタイトルにしたけれども、厳密にBLといえるのか。そもそも恋愛作品をBLとそうでないものとジャンル分けすることが間違っているのではないか、そう訴えかけるような作品だ。根底には「人を愛する」という共通のテーマを描いている。相手が同性だろうが異性だろうが、線を引いて区分けする必要なんてないのかもしれない。

 

 

さて、この映画のねずみはまさに主人公の大伴恭一だったと思う。

この大伴という男、流されやすくてかなりの悪い男だ。誰も傷つけたくないが自分が一番傷つきたくなくて周りに一番ダメージがあるような選択をしつづける。自分が傷つかない代償に誰かが傷を請け負っている。表面的な優しさなんて何も生み出さない。

 

恭一のお相手、今ケ瀬役は成田凌くん。『スマホを落としただけなのに』でも思ったけど成田凌って独特の色気というか演技力があるよね。丁寧語の「あなた」呼ばわりのストーカー気質、スマおとのキャラとちょっと被る。とにかく目で物を言う。言葉を発さなくても表情の付け方や細かな仕草が魅惑的に映る。

愛の重い粘着ストーカータイプで普通に怖い…。気を引きたくてわざとバレるように付け狙っているけど、探偵の仕事してるから普通に密偵スキルはあるはずだよね。

 

 

同性を愛したその先は 

考察や感想もまだ見てないし、純粋な感想だけども、最後なんで別れちゃったんだ?

見落としちゃったかな。婚約者が帰るやいなや今ヶ瀬を連れ込んで身体を重ねて、婚約者とは「明日に別れる」と話した。「恋愛でジタバタもがくことより大切なことがある。お互いそういう年だろ」っていう言葉が引っかかったのか、今ヶ瀬は朝には消えてしまう。(彼の心である灰皿を自らゴミ箱に捨てていった?)

大伴ははじめて有言実行して婚約者に別れを告げるも、今ヶ瀬にも別れを告げた。

ここらへんが全くわからんかった。今ヶ瀬はまだジタバタと恋愛していたかったのかな。愛して妬いて求めて突き放して、恭一とはまだずっとそういう恋愛をしていたくて、「恋愛の終了宣告」に乗れなかったのだろうか。

 

そもそも、この社会ではストレートを前提にして成り立っている。恭一のような元々ストレートである人物からしたら「恋愛」→「結婚」と段階を踏んで次のステージに進むのが一般的だ。しかし今ヶ瀬のような同性愛者には「結婚」というステージは与えられていない。同棲しようがパートナーシップを結ぼうがその先にあるものは結婚ではなく、恋愛の延長線でしかない。どんなに求めようが次のステージがない。恭一は結婚ができないことを腹を括ったつもりだが、求めていることはストレート社会の文化に則っている。今ヶ瀬はこれまでの人生でストレート社会との違いを嫌というほど実感してきたはずだ。そんな今ヶ瀬に、恭一がストレート文化をあてがって「恋愛はおしまい」と締めくくったことが、実質の別れと感じてしまったのかもしれない。

 

 

美しいビジュアルと空気感

それはそうとして、ところどころの「画」はよかった。

粘着同性愛男性に惹かれていく、流されやすいストレート男性。別れてもまたくっつく、互いの心を埋めていく存在になる。

でも今ヶ瀬は大伴が好きで好きで好きで好きで仕方ないけど、元々ストレート男性ということに不安が拭えない。ストレート男性にとってゲイ社会は鬼門。自分のものであってほしいけど、いつか女性のもとにいってしまうのではないか、「普通に」結婚するほうが幸せなんじゃないかと相手を思う。

成田くんはそこらへんの嫉妬と独占、憧れと諦めといった含みをもたせた目や表情を作るのが本当にうまい。

 

2人の退廃的で目の前だけしかみていないあの空気感が切なさを醸し出していた。

おっさんずラブ』『きのう何食べた』とは違う雰囲気で、ラブコメとも違う大人の恋愛物語だった。登場人物はそれぞれ思うことがあり、表向き口に出さずに、スマートな大人の対応をする。ときには自分のために誰かを傷つける。特にキャッツファイトのくだりは見ていてハラハラした。多分前半の見せ場だよね。

でもその後たたなかった虚しさと自己嫌悪がより一層彼への気持ちを高めるきっかけになる。男性の性行為ってのは相当メンタル依存しているからダメなときってのは本当にダメなんだよね。なのに不倫相手や今ヶ瀬とはできてしまうあたりが闇深い。

 

ビジュアル面については、二人ともいい身体してる。成田くんはゲイ役だけれどもいわゆるゴリゴリってわけでもないし、かと言って人形みたいな美少年ってわけでもない。無駄な脂肪もなくある意味で理想標準的な26歳だった。大倉くんも程よく引き締まってて、遊んでモテるサラリーマンって感じ。役柄上バキバキすぎると普通じゃないけども絵面を考えるとだらしなくあってはいけない、そのあたりのバランス感覚が程よかった。

そんな二人が互いに求め合うシーンは特に迫力がある。二人のプロ意識を感じられた。『娼年』の松坂桃李も迫力あったけど。『怒り』の妻夫木聡綾野剛もなかなかよかったな。いわゆる濡れ場ってどこまで映すか、どこまで生々しさを演出するかってのは役者と制作の気持ちによってだいぶ左右されるよ。ビジュアルだけの美しさに逃げずに描写してると映画全体のメリハリがついていい。

 

原作は少女漫画?(レディースコミック?) 話の展開はくっついて離れての繰り返しなのが、2時間の映画で何度か起きるのはちょっと構成がよくない。変に改変しちゃうと原作ファンが怒るんだろうけど、エピソードをもう少し絞ってくれると個人的に見やすかったかなぁ。あ、でも大伴先輩のフラフラ優柔不断っぷりを示すのは成功してたわ。恋愛映画はイチャイチャシーンを見てニヤニヤ楽しむものだと思っている。終始イチャイチャしてるだけだと映画にならないので、必ずトラブルやすれ違いを起こすのが鉄板ではある。そうなんだけど、イチャイチャが足りないよ〜。SEX以外の描写がもっとほしかった。耳かきと乳首当てゲームで充分だというのか。。求め過ぎなのか。。。

大伴先輩の愛がわかりづらいからかな。このちょっとした消化不良感は。

 

 

鼠がチーズを求めるのは当たり前。どんなに追い詰められて、袋の鼠になってしまっても、それでもチーズを夢見てしまう。恭一にとってのテーズとはなんだったんだろう。

 

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感想『機界戦隊ゼンカイジャー』第3話マジーヌ登場!幅が広がる巨大戦のロマンとこれまで

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1年ものの物語がおよそ45作品あるので個人の好みにハマるものもあれば、あまりはまらないものもある。それでいえば、キラメイジャーは何かしら僕のツボにハマっていた。ゼンカイジャーはまだ僕のツボを押してくれない…。おもしろくないとは言わないんだけど、まだ何が足りないんだ…

 

 

さて、マジーヌが仲間入りしたことで巨大戦の幅が広がった。今日の放送ではその合体ギミックを見せる演出が印象的だった。ゼンカイジャーに限らずここ最近の戦隊ものの特徴のひとつとして「巨大戦」へ力を入れているように思える。

もともと戦隊の売上主力玩具は変身アイテムではなく合体ロボットである。変身アイテウムが売上主力玩具である仮面ライダーの変身ベルトに比べるとを売上感をイメージできないのではないか。だからこそ戦隊はできるだけ巨大戦の魅力をアピールして、もっとロボットが欲しくなるようになっていかなければならない。

 

巨大ロボとゼンカイジャー

まず『機界戦隊ゼンカイジャー』は過去戦隊のロボットをモチーフにしている。個人的にはマジキングをモチーフにしたゼンカイマジーヌの造形デザインが好みだ。

戦隊シリーズでは過去に30作品目の『轟々戦隊ボウケンジャー』で敵怪人のモチーフを過去のヒーローロボで造形していた実績がある。見た目で「あのロボだ」とわかるものもあれば、しらべて「なるほどなぁ」と感心するものもある。仮面ライダージオウでは過去のライダーをアナザーライダーとして怪人化させたデザインもつくっている。そう考えると、45種類ちかく出るかもしれないゼンカイジャーのロボ(や換装武器)にも期待ができる。直近ヒーローだから記憶が新しいうちにキラメイジンモチーフのヒーローがGW前後には登場するに違いない。(願望)

 

コロナの影響か、あの白倉氏の仕掛けか、ゼンカイジャーでは生身キャストはひとりだけだ。4人はキカイノイドとかいう、電王イマジン方式を戦隊に採用したのは正直相当思い切った。おそらく通年でロボ戦に力をかけてくるだろう。これが成功するかどうかが45作品つづいたスーパー戦隊シリーズの分岐点だ。先日放送されていたの「しくじり先生」のように暗黒期・迷走などといわれないような展開であってほしい。

とはいえまぁ、イマジンの実績もあるしバディノイドもいたし、ニンジャマンやシグナルマン、ズバーンみたいな番外戦士たちも活躍していたし大丈夫でしょ。

 

 

巨大戦のロマン

まずは僕個人の昔の戦隊のイメージだ。

等身大戦を終えると何らかの方法で敵が巨大化する。戦隊側も当然巨大ロボで応戦する。

しかし、ロボが合体するとすぐさま必殺技を繰り出す。巨大戦そのものが消化試合のような扱いだ。

これについてはキラメイジャーのプロデューサーで過去にはデカレンジャーマジレンジャーを担当した塚田プロデューサーも「昔の僕なら」「等身戦が終わったらアクション部におまかせ」してたという。

ロボットをPRするのにロボ戦が消化試合のような扱いになってしまう本末転倒な構成になりがちだったということだ。

なんとなく潮目が変わり始めたのは感覚としてはシンケンジャーだ。

それまでは等身怪人の巨大化だけだったのが、雑魚兵の巨大化を果たし、巨大戦のあり方に一石を投じる形になった。純粋に魅せるバリエーションが増えた。

そして、巨大戦に力をかけたのはゴーバスターズ。等身戦を行いながら並行で巨大メカが転送されてくるギミック。

1話なんか顕著だけどもメガゾードが転送される前にメタロイドをシャットダウンしたい、けども間に合わず等身戦と巨大戦を同時平行で処理しなくてはいけなくなる。

ポイントは等身怪人の巨大化ではなく、別個体が転送されてくるということだ。

だからこそふたつの戦いを同時に展開させることができる。この流れはまさにキラメイジャーでも同じ方式をとっている。

ゴーバスターズはロボットの拡販に力を入れることを目標としていた。そのためシリーズを通して合体ギミックのおもしろさはもちろん、ストーリーでのバディとしてロボットの魅力を高め、ロボ戦の価値を上げるための工夫がみられる。メカメカしい基地があるのも整備士にスポットが当たる話があるのもたまらない。

 

 

各組織巨大化のメカニズム

次に最近の巨大化メカニズムを考えてみよう。

 

トジテンド:巨大戦用戦闘員が存在。等身戦で敗北したワルドのトジルギアの能力で強化される。等身&巨大戦もありえる。

ヨドン軍:邪面師と邪面獣は別個体。邪面師が集めた闇エネルギーによって転送される。うまく集めれば等身&巨大戦となるし、集めきれなくても闇の保険でカバーされる。

マイナソー:等身獣が自身で巨大化。そのためにマイナス感情で成長しないといけない。等身と巨大戦は同時には起こらない。

ギャングラー:ゴーシュによって巨大化。金庫が本体(?)。等身と巨大戦は同時には起こらない。

 

ギャングラー以前の多くは誰かによって巨大化アシストをしてもらうパターンが一般的だ。ジュウオウのナリアだったり、ニンニンの九衛門だったり、キョウリュウラッキューロだったり。戦隊シリーズ昔からのお約束のひとつだ。しかしある意味ではマンネリの理由ともいえる。苦労して等身獣を撃破しても必ず巨大化して復活してしまう。等身戦はあんなに苦労したのにロボットで戦うとあっという間にやっつけてしまう。これでは完全に消化試合だ。

 

キラメイジャーではゴーバスターズの時のように、巨大と等身ふたつの戦いを上手く見せることで消化試合のようなイメージにならないような工夫も見て取れる。

いかにロボ戦を魅力的にできるか、制作陣の腕の見せ所だ。それなのにこれまではアクション部に丸投げをした、ストーリーのおまけのような扱いだった。アクションとストーリー、バラバラに構成されていたふたつをうまく物語に組み込み、ロボに焦点を当てた話と等身ストーリーに焦点を当てた話ができれば、世界観にメリハリがつくだろう。

キカイノイドが全力で等身戦をしてくれるゼンカイジャーは、ロボットをより魅力的に映してくれるはずだ。

 

ちなみに巨大化にサポートが必要となる場合、たいていラスボスの女性型秘書や雑用係やベビーシッターなど身分が低いものに任せられることが多い。巨大化は仕事内容としては相当重要案件である上に、頻度も多い。実は巨大化の役割を担うことはラスボスの信頼を得ている花形なのかもしれない。復活する怪人側も失敗を挽回するチャンスをもらえたとして、怪人サイドも「サンキューナリア」と礼を言っている印象が強い。巨大化はうれしいようだ。たまには1クールでやられそうな武人型幹部がブラック精神で「死して働け」と無理やり巨大化させるような展開があってもいいのになぁ。

 

 

機界戦隊ゼンカイジャー。その響きの通り機械モチーフである。次回にはブルーンが仲間入りを果たして2台ロボが並び立つ。ようやくゼンカイジャーがスタートするのだ。これからの展開を期待して見ていこう。

 

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感想『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』庵野監督の自意識と独白。ろくな考察のない感想。一応ネタバレ注意

エヴァンゲリオン シン・エヴァンゲリオン劇場版 さらば、全てのエヴァンゲリオン ジグソーパズル ラージピース 500ピース 50cm×75cm 05-2014

 

 

1995年に放映された『新世紀エヴァンゲリオン』から26年。

例えばあの当時に20歳の大学生だった人は今や46歳。

名探偵コナンは1994年、ワンピースは1997年から続いている。つまり2021年時点でそれぞれ27年と24年のベテラン作品だ。それぞれに長い間応援しているファンがいて、新作を常に心待ちにしている。こういうロングヒットのストーリー作品のファンはエヴァの完結によって「次は自分たちの番」であることを自覚しなければならない。

 

26年。これだけ長い年月をかけた代わりにきちんと決着をつけた本作。放映当時からのエヴァファンの人たちはどんな心境なんだろうか。

まるで小さい頃大好きだった駄菓子屋が店じまいする感覚だろうか、それとも大学から連れ添っていた遊び仲間との離別だろうか。シリーズの完結というのは待ち望む絶望である。長編になればなるほど、続きが気になる反面「これ、いつ終わるんだろう」という不安が常につきまとう。監督や作者が不慮の事故があったらどうなるんだろう、そもそもエヴァは本当につくられるのだろうか。完結したとしても、本当に心の底から納得できる終わりになっていてくれるだろうか。考えるほどに期待値よりもマイナスな気持ちがどんどん高まる。

 

それでも僕らは「エヴァンゲリオン」の新作発表に心を踊らせ、度重なる延期発表に悲しむ反面、「まだ終わらなくて済む」ことに安堵する。

 

エヴァンゲリオンの主人公、碇シンジくんは14歳の中学生だ。それも快活なタイプではない。ロボットに乗り込む主人公は熱血であったことが多かった時代においてシンジ君はちょっと異質だったのではないだろうか。謎がなかなか解き明かされない独特の世界感でちょっとウジウジするタイプや周りの理不尽に憤りを感じていた人たちは自然と自己投影していき、たちまちエヴァンゲリオンの魅力に取り憑かれていった。

いわゆる陰キャラな主人公は無口でミステリアスなヒロイン綾波レイと、明るくグイグイくるアスカの二人に揺れる。

当時からのファンはまさにエヴァンゲリオンは青春だったのかもしれない。エヴァンゲリオンの終わりとは「青春の精算」的な側面があり、その喪失感は計り知れない。

 

 

 

本作の感想をひとことで言ってしまえば「よくわからなかったけど紛れもなくエヴァンゲリオンだった」という感想に集約される。

完結編で出てくる数々の新しい用語やそれらを使いこなすミサトさん達。あの世界の人たちの「私は世界を理解していますよ」感と反比例する視聴者の置いてきぼり感。(これの真骨頂は紛れもなくQなんだけども)

例えて言うならば、専門用語だらけの新しい会社、あるいは新しい部署でいきなりめちゃくちゃ忙しく働くことになるような感覚とでもいうのだろうか。理解できている周りの人たちに置いていかれないよう、ぼんやりと大枠を理解しながらとにかくついていくことで精一杯走り抜ける感覚だ。

過去作を見ておくことは流れを知るために最低限の条件。最大限に楽しむためには、きちんと過去を分析して1点1点用語や用法・意味を理解していなけばならない。こうした細かい部分まで気を配ることができるようにあって、仕事あるいはエヴァンゲリオンの楽しみを実感することができる。ある意味では楽しむためのハードルがめちゃくちゃ高いのがエヴァンゲリオンだ。

 

ここからはネタバレ込で書いていきます。ネタバレ回避派の方はご注意ください。 

 

 

 

 

 

 

専門用語は全くわからない。大まかなストーリーはなんとなく把握。そんなエヴァンゲリオン

 

 

 

見ていて強く感じたのは、庵野監督はゲンドウでありシンジなんだろうな。インタビュー等を全く見ていないので、ただ特撮好きということしか知らないけども、この完結編は彼の独白の側面を担っているように感じた。完全に邪推だが、彼は無垢でピュアな綾波のような人間が好き「だった」のだろう。都度新鮮なリアクションをとってくれる彼女は自分の「教えたい欲」を掻き立てる存在だったはずだ。アスカのような引っ張ってくれる友人に恵まれながらも、最後に落ち着くのはマリというところが長年作品を作り続けた彼の心の変化と時間の流れを感じる。

それはともかくゲンドウが急激にラスボスムーブしてきたのはおもしろかった。人外になってめっちゃ悪役やるじゃん。壮大な親子喧嘩ははじめてシンジが面と向かって向き合ったいいシーンなんだけど、点々とイメージ風景が変わる取っ組み合いがシリアスなギャグなように見えてしまった笑

その割に人類補完計画・ユイ風味がちょっと気持ち悪い感じが独善的な悪役っぽくていいなぁ。

 

監督はかつてないくらいピュアで可愛らしい綾波を書ききった。その代償として今作の出番はそこで力尽きてしまう。対象的にシンジが眠っている間も戦い続けたアスカは今作も身を削って戦い続ける。今作一番割を食った存在な気すらする。お辛い立場になってしまった。ただただ愛されたいアスカはケンケンに出会って距離を縮めてちゃんと居場所ができたのかな。ケンケンのメンタルが達観しすぎて、ニアサードインパクトから14年という年月を感じた。彼も多分いろいろ大切なものを失って、それでも生きてきたんだろうな。

 

にしてもみんながみんな「ニアサー」と親しみやすい略語で呼んでるのがちょっと笑っちゃった。でもそんなものなのかな。世界を一変させた大災害は「911」「311」みたいな日付で呼ぶように、エヴァの世界の「ニアサー」は日付代わりの記号的象徴なんだろうな。

同級生との再会や綾波萌えの日常パートは、最終決戦前、嵐の前の静けさみたいなほのぼのさを感じる。同時にQの尻拭いというか、全く描かれなかった14年での世界のあり方の説明パートだった。元々こういう構成であったのかもしれないけど、破からQの世界となった整合性をとるために丁寧に掘り下げたのが伝わってくる。Qで出なかった加持さんのその後やミサトさんたちについての説明だった。

「破」のQ予告がまったくQ本編になかった。憶測で「破からQの間のエピソードのカットなのではないか」と言われていたが、その信ぴょう性が高まる結果になった。集められる子どもたち等からアスカやマリは真実を知ったのだろう。

あと、カヲル君が残機いっぱいな使徒なのは知ってたけど、加持さんの上司なのはマジか。このあたりの解説はもうちょっと漁っておかないといけないけど予想できたひといるの??そもそもシリーズ通してカヲル君は意味深な役割しかないから考察不能でしょ。

 

最後に本作で一番好きなのは強キャラ感あふれる冬月さんの戦闘シーン。微動だにせず時間稼ぎと割り切る姿がめちゃくちゃかっこいい。

 

 

何はともあれ、庵野監督、長い間お疲れ様でした。

ウルトラマン頑張ってください。

 

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『機界戦隊ゼンカイジャー』第2話 戦隊あるあるをねじ込んだ、戦隊シリーズの傾向と対策

【メーカー特典あり】 機界戦隊ゼンカイジャー主題歌 〔全力全開! 盤〕(機界戦隊ゼンカイジャーコレクションカード1付)

 

仲間集め回。次回はマジーヌを仲間にするのはわかるけど、5人目まで走り抜けるのか、一瞬タメをつくるのか、どっちだろうか。ブルーン、ずっとキカイトピアの清掃員をやってるからゼンカイジャーサイドと接点ないし、せっかく敵組織からの脱走ヒーローになれるんだから前後編くらいでタメてからの5人揃い踏みにしてもよさそうではある。

とはいえライブ感やスピード重視の現代だと、そういったタメや余韻を犠牲にして最短でインパクトある展開を連打しがちなんだけどもね。

今回は敵怪人の成り立ちや合体ロボも登場することで世界観をより戦隊らしく掘り下げていく。「敵を倒せば大抵の問題は解決できる」というめちゃくちゃメタをぶっこんでくるセッちゃん。戦隊あるあるを公式にすることでうるさい「ご都合主義論」を一蹴する力技。ここ10年くらいの戦隊はこうしたお約束を逆手に取ったり理屈付けたりして本当に丁寧な設定づくりを心がけてるなぁと頭が下がる。

設定が「戦隊ヒーローをもとに作られた戦隊ヒーロー」だから「戦隊の定義」「傾向と対策」がしっかり練り込まれた戦隊ガチ勢の気合を感じるぞ。

 

さて、仲間集めということで、ジュランにつづきガオーンがパーティ入り。猫なで声(?)の甘い言葉がウラタロスを思い出させる。ジュランをガン無視するあたりからして早くもキカイノイドコントが期待できるぞ。

ガオーンが劇場版でなんかカイトに優しいっていうか惚れているような雰囲気があった理由がなんとなくわかった。助けられたとかそういうのではなく、純粋に生き物が好きなのね。そういう意味では「百獣パワー」で変身できるのは本望なんじゃないかな。他の戦隊パワーをどう扱うのかはまだまだ気になるところだけれども「動物パワー」は先週使ったから当面なさそうだ。

 

ゴーグルファイブは新体操

この過去戦隊パワーは毎週何が使われるのか、という楽しみ方はゴーカイチェンジのワクワクと似ている。あの頃のヒーローが一瞬出てくるだけでも脳汁が出てきてしまう体質になってしまった。

ゴーグルファイブは新体操」とゴーカイEDでバッチリ特徴を覚えていたので、昭和戦隊だけどもバッチリ認知できた。勉強成果はいつ発揮されるかわからない。こうして10年越しに活きることだってあるんだよ。

当時は「新体操」ブームかなにかあったのだろうか。ネットで「80年代 新体操」と検索してもそれらしき記述はない。Wikipediaを読むと「アクロバティックな動きの追求による派手な画面づくり」による採用だという。実際、剣や銃に弓、必殺バズーカでの戦闘が多い昨今の特撮の中でも「リボン」で敵と戦うのは妙に印象に残る。予算的にも扱いやすい可能性もある。ゴーカイジャーでもなんだかいっぱい変身していたような気がしたけども、調べてみたら全員で11回しか変身していなかった。EDの効果による錯覚だった笑 おのれゴーカイジャー

 

 

忍びの風吹けハリケンジャー

世代的な問題か、SNSでは「ゴーグルファイブ」よりも「ハリケンジャー」のほうが盛り上がっていた。ガオーンによる「ガオレンジャー」からの「ハリケンジャー」。この2作品ドンピシャ世代にはたまらない配列だろう。ガオレンジャーが2001年でありちょうど20周年となる。ガオレン世代が当時5歳であれば25歳となりSNSとの親和性が高いし、人によっては子供と一緒にゼンカイジャーを楽しんでいるかもしれない。

 

前回のニンニン&ジュウオウの能力を使ったときの戦隊ホログラムに追加戦士がいなかった。ハリケンジャーのときも同様でゴウライジャーの姿は見えなかった。実際ハリケンとゴウライは別戦隊扱いだから厳密には追加戦士ではない、そういう意味では今回ゴウライの姿が見えないのは正しいのだけども、どのように調理するつもりなんだろう。

やっぱり別のセンタイギアを用意して追加戦士が扱うのかな。じゃあ、シュリケンジャーはどうするのか。さらに言えばセンタイギアにはナンバリングまでしちゃってある。彼らの番号はどうなる?ルパパトはどうなっている?

なんとなくキカイトピア側のアイテムとして出てきそうだけど、どうかなぁ…。

 

 

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『機界戦隊ゼンカイジャー』第1話「キカイ世界はキキカイカイ! 」迫る!過去最強トジテンドの脅威

機界戦隊ゼンカイジャー主題歌 〔通常盤〕

 

ついにはじまった。機界戦隊ゼンカイジャー。

ディケイド&ジオウにゴーカイジャーを加えて電王風味を隠し味にトッピングした作品になると思っている。

アニバーサリーで過去を絡めるとしたらどうするのか、という問いのわかりやすい答えは「過去ヒーローを出す」(ジオウ&ゴーカイジャー)である。しかし、これは劇薬であり過去ヒーローが出るとどうしても主役が食われかねない。そのため、あくまでも過去のヒーローには戦闘力を失わせておかなければならない。そうしたバランスが非常に難しい。

 

一方で、もう一つの答えはディケイドのように「平行世界説」を打ち出すことだ。

そうやって世界を守った別世界がある、と定義づけることで過去ヒーローを落とさずにゼンカイジャーの物語を紡ぐことができる。

 

にしても、キカイトピアのトジテンド、とんでもない能力だな。

世界まるごと閉じ込めて残りはゼンカイジャー世界だけって純粋にやばい。

過去に地球を侵略したマシン帝国バラノイア(オーレンジャー)や199ヒーローが全能力を結集して追い払ったザンギャック(ゴーカイジャー)より遥かに凶悪な能力をもっている。彼らの世界ですら抵抗の余地なく吸収してしまうのは過去最大級の脅威ではないだろうか。

とはいえ、このゼンカイジャー世界だけは吸収できない謎仕様、力の一部が奪われた(ゼンタイギアとして使われている?)こともあり、世界に関する謎を散りばめてある。両親がなにをしようとしていたのか、なぜキカイトピアの存在を発見できたのか、平行世界に気づけてその能力を拝借できたのかが、物語が進むにつれて今後明らかになっていくことだろう。全貌を語る・考察するにはまだまだ情報が足りなさすぎる。

 

 

ジュランはジュウレンジャーの「恐竜パワー」によって変身していた。アバレンジャーキョウリュウジャーの力にあやかる場合は「爆竜」「獣電」とそれぞれの冠部分が採用されるのだろうか。そもそも45バリエーションの変身を用意するのだろうか。普通はしないと思うけれども、しない場合はその理由付けが必要な気もする・・・。

 

ジュウオウジャーの能力を借りるとジュウオウイーグルの空中戦ができるようになる。そのあたりの過去ヒーロー能力の使い方は、ゴーカイジャーでの実績があるから安心ができる。ライダーにように一度途切れた歴史がない45作品作り続けたノウハウを信頼している。

「戦隊の概念をぶち壊す」白倉氏。彼は必ず「そもそも戦隊とは何なのか」「何を壊して何を崩して何を作るのか」こういった分解と再構築を理論的に考えているはずだ。(最終的にライブ感のノリで全然ちがう何かになってしまうこともあるけれども)

ゴーカイジャーの「大いなるちから」ではないけれども、戦隊を見つめ直すと同時にその戦隊の特色を抽出してくれるだろう。過去ヒーローを直接出すことはなくても、うまくそのエッセンスを入れ込んでくれると信じている。

 

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書評『NO RULES(ノー・ルールズ)世界一「自由」な会社、NETFLIX』

 

NO RULES(ノー・ルールズ) 世界一「自由」な会社、NETFLIX (日本経済新聞出版)

『NO RULES(ノー・ルールズ)世界一「自由」な会社、NETFLIX』(日本経済新聞出版)

 

本は色々読んでるんだけどなかなか感想を文章化して保存するまでの癖がつかない・・。

読んでる間は「なるほどなぁ〜」って感心するんだけどね。

まぁ、頭の片隅に考え方がインプットされてばわざわざ書くこともないといえばそうなんだけども。

 

というわけでネットフリックスについての本。GAFAと同格クラスにまで勢いを伸ばしているこの会社はどんな会社なのか。

とにかく目につくのは「休日から経費まで完全自由裁量」の「成果主義」。

究極のアメとムチなような印象だけど、これが運用できるのはほんとにさすがNetflixって感想。少なくとも弊社じゃ難しいね笑

超特殊な企業体質だから生半可な会社では安易には真似できない、それだけにほとんど異文化理解みたいな感じでおもしろかった。

 

 

社員を信じぬきコントロールを排除する風土

ネットフリックスは社員を徹底的に信じることができる会社だ。

採用する人間は「超優秀」であることを前提にしている。超優秀な人間は自己裁量で仕事をすると恐ろしく効率的にしかも積極的に働いてくれる。責任感があり自分の仕事をきちんとこなす。だからこそ予算や休暇や面倒な決裁プロセスはすべて省いて一般社員に任せられる。

『社員に・・・自由を与えれば、質の高い判断ができるようになり、説明責任を果たすようになる。』そのために「能力密度を高め」つつ「素直さを認める」必要がある。

優秀な社員は互いに「あのやり方はどうなの」とフィードバックをしあって互いのパフォーマンスを引き上げていく。

 

「ネットフリックスに利益をもたらす」ことが社内精神として浸透している。

経費の使い方、例えば「出張予算は5000円まで」など細かいルールがあるとする。すると自分の手出しにならないように個人がコントロールしながら過ごすようになる。突然決まった出張で、5000円以内のホテルが空いていなければ3000円のカプセルホテルや2000円の漫画喫茶に泊まったりする。結果として疲れが取れずに翌日万全な状態で仕事に挑めなくなる。出張が大口の取引のプレゼン発表だとしたら?もし仮に自己裁量で7000円のホテルを取り、安眠していればプレゼン発表の質が向上していたかもしれない。会社の予算である5000円は守られたのと引き換えにより大きな利益を失う可能性があるわけだ。

 

より利益をだせるように経費を使う。どのような選択をするのが会社として利があるかを判断するのは個人にまかせている。個人が無駄遣いをしないということを大前提としているのが非常に象徴的だ。しかも、経費を自由に使えると承認プロセスがなくなり個人の仕事のスピードがぐんと向上するし、事業にプラスになるかどうかの判断スピードも迅速になる。

 

 

優秀な人間に淘汰される凡人

色々書かれていて印象的なエピソードが多いが、読めば読むほど「優秀な人間」を集めた結果であることがわかる。優秀な人間は怠けない。働き蟻は全体の2割しか働いていない、みたいなことをよく言われているが、実は交代で全員がめちゃくちゃに働いている理論だ。働くときは全力で働き、全力で休暇を作る。自らを律して動ける人間ばかりだから成立する働き方だ。

 

辞められては困る社員には他社より高い報酬を払う。プロジェクトで成果が出せず、今後も「会社に利益をあげられそうもない」と判断されれば辞めてもらう。ただし突然の解雇にならないように改善通告をきちんとするし、解雇となっても充分な退職金を払う。このあたりの仕組みづくりが絶妙だ。

しかも、ネットフリックスは前身の会社での大規模リストラで社員を減らしたときの経験から「頭数のためだけの社員はいなくなっても仕事は回る」という残酷な事実を知っている。元々優秀な人は仕事のスピードも早くて1人前以上の処理をする。その能力を、手戻りやミスのフォローなどに回さなくなる分効率的になるんだとか。

 

 

あ〜、この事実は非常に残酷だ。わかる、すごくよくわかるよ。いわゆる極端にミスの多い人間や仕事の遅い人間であればいないほがマシってやつだよね。能力重視の資本主義社会だからまったく否定できないけど、世の中がすべて実力社会になってしまったら、「本物の無能」の居場所が社会になくなっちゃうのが問題だよね。そういう無能だけ集めて仕事を斡旋するのが国の役割になるんだけども、、、

 

機械化、そしてコンピューター化によって世の中の仕事はどんどん複雑になる。そして使いこなせば使いこなすほど簡単な仕事は消えてなくなる。たかだか数年前だが、引き継いだ仕事に「社用メールの転送」があった。イレギュラーなアドレスからの問い合わせ系はともかく、毎日来るような通達メールも「A社からのメールはXさん」「B社からのメールはXさんとYさん」に転送という風に決まっていた。自動転送設定をしたらこの仕事はなくなった。

引き継がれて代々誰も疑問に思わなかったのかと思うけど、新人向けの日課としてはちょうどよかった節もある。簡単な仕事は消えていくので新人が取り組む仕事の難易度はぐんぐんあがっていく。

 

ネットフリックスってのは新卒採用することはあるのかな。他社で能力を開花させた実力者を集めたとしたら、その教育コストさえもカットしていることになる。まぁ、ネットフリックスで新卒採用されるような人間はそもそも教育コストがかからない人材の可能性もたかいけども。

 

興味深いし、もう少し関連書籍を読んでみようとは思うけども全く真似ができる気がしない唯一無二の会社だなぁ、という印象。この本自体は勉強になったしおもしろかった。

 

最後に本書のすきな言葉を。

『柔軟性よりミス防止を優先するやつがあるか。そんなのは完全な時間の無駄だ。正確な計画を立てることなど不可能だ。』

『長期計画によってミスを防止したり経費を節約したりすることが、私たちの最大の目標ではない』

(第9章:コントロールではなくコンテキストを〜ともに北極星を目指す〜より) 

※当然だけど、ミスをしてもいいという文脈ではない

 

ミスをしないように時間を割きすぎるのはバカバカしい。

何事も柔軟に対応できるようにありたいものだ。

 

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感想『魔進戦隊キラメイジャー』最終回。エピソードFINAL「君たちがいて輝いた」。人が輝くとき、そこに奇跡が生まれる!輝き、それは未来を変える戦士の証!限界を超えないキラメイジャーが見せてくれた1年間。

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魔進戦隊キラメイジャーもついに最終回を迎えた。

新型コロナの影響もあり、撮影がストップしたり制限されたりで相当な苦労があったことだろう。キャストやスタッフの皆様の努力のおかげでこういうご時世に楽しい気持ちになれる作品を毎週みることができた。本当に感謝の言葉しかない。

 

 

戦隊恒例のマスクオフでの名乗りも見れて満足。僕らは単なる「恒例の素面名乗りだ!」と思っていた。でも、今回は「素面」で登場することに意味を持たせてくれた。明かされたヨドン皇帝の「仮面は弱者の証」という発想。皇帝は仮面をつけることで自分を隠して強くなった気がしていた。そんな皇帝に対するカウンターが「マスクをせずとも輝いている」キラメイジャーの面々だ。素面での名乗りを、ただ「かっこいいから」「恒例だから」で片付けない、キラメイジャーが積み重ねてきた視聴者への誠実さが端的に顕れている。

 

最終決戦はマブシーナがそれぞれの良いところを回想し、それに呼応するよう実戦闘でもみんなが自分の能力を活かした活躍をする。為朝の作戦指揮を執る姿は見慣れたものだけども、考えてみれば年長者が仕切るわけでないというのも珍しいのかもしれない。得意分野を任せる年長組の懐の深さがキラメイジャーらしい。ついでに為朝は「参謀」と「射撃」という2つの長所を持っている分活躍度合いが高い。最後までかっこいい男だった。

 

最後はオンライン集会でほのぼのした締めだった。

キラメイジャーは仲間内・あるいは相棒ストーンとの絡みがあるからおもしろい。寂しいから隊員服を着ちゃう時雨が愛おしい。はじめて心を開いた仲間たちなんだもんな。仲の良さがしみじみと伝わる。

ガルザも本当に退場しちゃったし、ヨドンナも生き残れなかった。とても残念だった。生き残ったクランチュラはいいキャラしてるけど、彼も大概極悪卑劣だったぞ。それはそうと多分地球の黒電話がお気に召したようで充瑠と電話する友達になった。なんで電話が通じるんだ・・・?キラメイストーンの思念通信みたいなのをカラットが応用して新システムを開発したのかな。あの企業ならありうる。

最近は「帰ってきた」シリーズのVシネもないから、本当に終わりかな、と思っていたら「VSリュウソウ」が発表されて思わず歓喜した。実現できてよかったね、絶対にないと思っていたよ。これもキラメイジャーもリュウソウジャーも愛されている証だ。

シリアスなリュウソウジャーがキラメイ世界観でめちゃくちゃやるのが今から楽しみで仕方ない。

 

キラキラするを突き通した1年

キラメイジャーはいろいろなジャンルのスペシャリストが集結している。そんなスペシャリスト集団にも関わらず、いわゆる職人気質のキャラクターがいないことが特徴的だった。それぞれが最前線で活躍しながら、「俺は俺の道をゆく」ということをせずに周りの意見にもきちんと耳を傾ける。ある意味で「できすぎている」人間たちの集まりだから戦隊活動は恐ろしくスムーズで効率的だった。それぞれが自分に課せられた役割をきっちりこなすことでキラメキを保ちつづけたから安心してみていられる。

「なにか一芸に秀でている人物は人間性に問題がある場合がある」あまりにもできすぎてるキャラクターをみてしまうと、何かしらのあら探しをしてしまうのは人間の性だろうか。キラメイジャーのメンバー達は優れた協調性をもちながら、皆マイペースで個性的な性格をしている。互いの存在を認めているからそれぞれの個性を受け入れてマイナスイメージなく関係性を構築しているのは純粋にすごい。 

 

 

令和におけるヒーローのあり方の模索

印象的なのは2つ。

・熱田充瑠というクリエイターレッド

・限界は超えないためにある

 

どちらも以前に記事にしてみたけれども、やはりキラメイジャーが今どき戦隊ヒーローとして特徴的なのはこの2つだと思う。

充瑠は近年のレッド達同様、戦隊の方向性を定める象徴的レッド像を持っている。

この象徴的レッドは、方向性を定めるときには「いいじゃん、やろうよ」と周囲と協調しがらもポジティブな発想で前に進んでいく。充瑠は為朝のように適切な判断を下しながら効果的に問題点を整理して作戦を立案するタイプではない。けれども充瑠は要所要所で前向き発想をしながらキラメイジャーを引っ張っていった。方向性を定める能力を有していたのだ。

もし充瑠がレッドではない色、例えば為朝とカラーリングが違っていれば、キラメイジャーはまるで違う作品になったはずだ。黄色版充瑠は「時々」ピンチを逆転させる発想をするし、「時々」彼の発する前向きな言葉で戦隊のやるべき方向性が定まっていたはずだ。基本的には赤版為朝が司令塔となり良い意味で組織的な戦隊活動をしていたと思う。

この為朝ではなく、充瑠がレッドとなっていることに「令和における戦隊像」が見えてくる。誰もがキラキラと輝いていることを主題としているキラメイジャーだからこそ、従来のレッドのイメージと合わないような人材でも主役になれることを証明してくれた。シンケンジャーの姫レッドも当時世間をざわつかせたようだが、これまでの色や性別と性格をリンクさせた戦隊像はこれから通用しなくなっていく。おそらく制作の東映側も強く感じているはずだ。だからこそ、ヒロインカラーでなかった緑にもヒロインが生まれたり、女性だけど腕っぷしが強かったり、無骨で男前な警察官だったり試行錯誤が見られる。一見おどおどしたような頼りのない最年少でもキラメキを活かしながら主役になれるのは令和らしい戦隊構成だと思った。

 

「限界は超えない」。キラメイジャーらしいキャッチフレーズなのに、一度だけしか話題にならなかったのは非常に惜しい。現代の歪な社会構造では誰かが限界以上に働くことで、維持しているような気がする。キラメイジャーのようなどんなに優秀な人物の集まりでも、その能力以上を求められれば潰れてしまう。往々にして優秀な人物というのは常識レベル・あるいはそれ以上の責任感を有していると僕は思っている。その責任感から自発的に能力を超えた限界以上を目指してしまうのではないか。地球を守るという究極的なミッションを与えられている彼らは、当然のごとく限界以上の力を手にしようとした。このときに「限界は超えちゃいけない」とブレーキをかける発想はマネジメントとして絶対に必要だ。自分も含めたみんなでドツボにハマっていく選択は決してしてはいけない。放送当時も話題になったこの「限界を超えない」選択は、キラメイジャーの象徴だと思う。

「本当に限界を超える必要がある場合はどう向き合うのか」が気になっていた。部分的にキラフルゴーアローの能力を強化したり、何かしらの裏技を使って強化時間を伸ばしたりするのかとおもったが、そもそもそんな事態に陥ることはなかった。良く言えば「限界を超えなくても課題は解決できる」だし、欲を言えば「限界を超えるような場面の向き合い方」を見たかった。強化100秒ルールがあったから、初手強化形態で臨むことがなく、とどめを刺すようなところでしかパワーアップをしていなかった印象がある。100秒ルールは最後まで生きていたのだろうか。

 

 

本当に楽しい1年だった。毎年ロスしてんな、って思うくらいには単純だけど、キラメイジャーの面白さは本物だ。面白いがゆえにこうして毎週なにかしらの感想・備忘録を誰かと共有したいと思えた作品だ。心から感謝と労いの言葉を伝えたい。

 

最終回、充瑠が髪あげててイケメン度高すぎ。おしゃれしちゃって、絶対これから柿原さんとデートだろ笑

 

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